NOT Jonathan, but Jedi -『光と、影と、「その他大勢」』追補
昨年末に『光と、影と、「その他大勢」』(以下前稿)を書いた後で、やっと『ウェブ進化論』を手元に取り戻して。
この本が好意的に売れた、という表現はヘンですが、結構多くの人が内容を自分のこととして考えても希望が持てたらしい(何度か書いていますがわたしには絶望としてしか読めなかった)、というのは何故かなぁ、ということを、もう一度考えるために読み返してみました。
で、もしかしたら、と思いついたことを前稿の追補として。
表紙カバーにさえ『不特定多数無限大の良質な部分』という抜き書きがあるように、「玉石混交の玉」が大前提の話のはずであるにもかかわらず、なのですが(但しうしろ1/3くらいには玉石の話は出て来ないのがミソかも)……
梅田さん(の"熱くてオプティミズムに彩られた"語り口)に、
自らは純白に輝いていながらも「学ぼうという意志をもって『練習にほんのわずかの時間を費しさえすれば自分の力で』わたしと同じように飛べるのだ」と説く、『かもめのジョナサン』の主人公、ジョナサン・リヴィングストンの幻影を見たのかもしれない、と。
……もちろんそれは玉石の選別というのが前提である以上幻影でしかないのですが、『ウェブ人間論』にあった[スター・ウォーズの世界観]という例えになぞらえて言えば、あれは「ジェダイ・マスターが現在and/or未来のジェダイに語りかけた」ものであって、辺境の酒屋でまったりしている(そして時にはクダを巻いている)がごとき大多数のわたしたち"フォースを持たぬ者"にとっては少なくとも「我が事」ではない。
ということで結論は前稿に同じ。
願わくばさらっとした『犠牲者が出ますよね。』の一言のもとに斃れるようなことがありませんように、
ここだけ再掲。
そういえば『スター・ウォーズ』というと、エピソードIVだったかで惑星ごとデス・スターに消されるシーンがあったように記憶していますが。
| 固定リンク
コメント