楽しむだけで十分だ
現実世界(の社会活動とか経済活動とか、そんなたぐいのもの)にリンクしよう/させようとするから...。
稚拙な印象操作を駆使する記事には、「一次情報」に当たることが重要 [絵文録ことのは]2007/02/20
のタイトル(だけ)に反応。
嘆きの心中お察ししますが……
みんな、べつに『メディアリテラシーを鍛えるための実地訓練』として"ネットしている"わけではないと思うのですよ。
(→関連:輝く画面に何思う?-朝のひとときに、仕事の合間に、一日の終わりに-(2006.08))
ただ一つの共通認識さえあれば。
およそすべてのものに対して、それが純粋に一時の娯楽であると心得てさえいれば、たぶんなにも問題になることはないのに。
いわゆる"釣られる"と表現するのですか、印象操作に一喜一憂することも、
またその操作を誰かが看破したことに一喜一憂することもみんな「込み」で、
画面の中のできごとは画面の中で消費し尽くせばいい。
そう、思います。
すべてが娯楽になった世界に在りて君は何を想うのか(2006.09)で引用したこの一文をもう一度。
生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。~<リーナス・トーバルズ[Linux開発者]+デイビッド・ダイヤモンド・著/風見潤・訳/中島洋・監修:『それがぼくには楽しかったから』:小学館プロダクション:2001年>より~
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