変わったら、変わりばえがなくなった。
我ながら妙ちくりんなタイトルですが。
ネットが"従前の世間"と変わりばえの無い方向に変わりつつあるのでは?という話。
酔うぞの遠めがね: ネットトラブルとリテラシーを読んで。
ネットワークが個人レベルで持っている根源的な疑問解消のための装置ではなくて、テレビと同様の情報丸投げ装置に変質したのではないのか?と思うようになってきました。
>情報丸投げ装置
ネットワークのコミュニケーション以外の部分では、昔からそんなもの、だったではないでしょうか。
ときどき"Yahoo!から一歩も出ない"などという揶揄めいた表現を目にすることがありますが、
どこか(ポータルの)リンクをクリックして数分「ふーん」「へぇ」と思ったらはい次、なんてことは10年も前から変わりない行動で。
それら(いわゆる"脊髄反射"的な)感想がブログやソーシャルブックマーク等で文字に記録される時代になりましたが、しかし「やりとり」ではない部分に関しては、行動の流れとしては従前とそう大きな変化でもないでしょう。
そして、そういうものが激しく膨張してきたから、変質したように見える、と。
で、コミュニケーションの部分なんですが……
リンク元の冒頭に引用されているような(保護者間のメールでどこかの子どもの名誉が毀損されているとかいう)ことというのは、従前から長電話(笑)や道端の立ち話なんかで変わりなく行われてきたことで、ネットだからどう、ということは、(近所の)悪口が流れる(流される)、という話の本質とはあまり関係があるとは思えないのですが。むしろ文字になったことで被害の証拠がより確実になったのは被害を届けるには好ましくなりましたね、というくらいで。
話がそれました。
現実生活の延長線上ではまず会うことすらままならないようなさまざまな人と、お互いの属性(の世間的な差)を意識することなくカジュアルにやりとりができる、というのが、私が(そしてたぶん"古手"のかたがたも)ネットに感じた魅力のひとつでした。
今入ってくる層は、というと、上記のような「保護者間」はいい例ですが、SNS等にしろ"従前のつながりをそのまま"移してきてその中で(だけ)わいわいやる、というタイプが圧倒的なのではないでしょうか。
TVで見てたようなものをネットで。
電話してたようなことをメールで。
ファミレスでだべってたようなことをSNSで。
「ネットならでは」のやりとりが少なくとも相対的には激減した。おそらく絶対数も減っている。
ネットが膨張すればするほど、限りなく「従前の世間のコピー」になりつつあるのかもしれません。
で、そうだとして、何が言いたいのかというと……
(従前の)世間が動かせたような『世の中』はネットでも動かせるかもしれないけれど、
ネットが勢いを持てば持つほど、世間では動かせなかった『世の中』はネットでも動かせなくなるのではないかと。
そう、思います。
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