真に受けすぎだと思うよ。
トラックバックできないようですが。
ぼくはその方法でサバイバルしたくないんだ : ひろ式めもちょう:
具体的に言えば、梅田氏のことばを賞賛し、自分のinterest=利益にかなうものとして盲目的に受け入れ、賛美する人々のものすごい規模の渦だ。
「渦」ができてゆくさまをたまたま目撃したがためにその得体の知れなさに戦慄する、というのはまぁ共感できるのですが、じゃあその「賛美」が"現実の未来"にどれほどの影響を与えるのかといえば、ほとんど「ない」と思いますよ。
真剣に捉え過ぎだと思います。
同所より:
(「人をほめろ」というエントリを支持する人がなぜ他人の粗探しをするのかという疑問はさておき)
さておくところじゃないですよ。
その部分こそが鍵であって、だからそんなに心配するほどのこともないんです。
ワイドショー感覚というか、たとえば(ポジティブな)感動に同調した次の、あるいは次の次のクリックで、[これはひどい]という憤りに同調する、なんてこと、珍しくもなんともない話じゃないですか。
……という表現に反発する人も、自分のネットサーフィン(死語)の軌跡を振り返ってみれば納得のいく話でしょう。
巡回先の全部が全部を、そのときに感じたはずの何某かの感情を、憶えてなんかいられないし、実際憶えていないでしょう?
自分がそうであるように、みんなも(どんなに長くても)数週間もすれば忘れてしまうものです。
もちろん数人くらいは長く記憶にとどめるかもしれませんし、私だって私の書いたことが誰かにとってはそういう位置にあってほしいとは思いますけれど、でもそれはとてもとても小さな確率であって。
どこか(誰か)に取り上げられたりして"嵐のような"アクセスがあったりすると、取り上げられた側はspetialな感情を持ってしまいがちなんだけど、取り上げた(&そこ経由でアクセスした)側にしてみればその日取り上げた(見て回った)何十のうちの一つに過ぎないわけで。
その意識の落差が引き起こす悲喜劇からはひとつの物語ができそうですがそれはまた別の機会に譲るとして、
ともかくみんな、それ"だけ"に注意を払っているわけではないのですから、未来の世の中への影響という点では(直後の反応(の大きさ)ほどには)そんなにびっくりするような変化はまず「ない」と言っていいのではないかと思います。
純粋に娯楽として見ていいと思いますよ。
そういうハラハラ感も含めて、かもしれませんけど、真に受けてばかりでは体が保たない。
もちろん例外というものはあるわけで、個別具体的な攻撃目標(苦笑)とかあるジャンルの消費行動なんかに対しては「ネットの力」を見せ付けるような事態も起こりうるでしょうけれど。
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