画面で見る自分、記憶に残る未練。
ひとつ前のエントリ:[自分のブログを自分は見ない]にはたくさんのトラックバックその他での言及を頂きましてありがとうございました。
各位には謝意を兼ねてコメントしましたので重ねてトラックバックは送りませんが、そのまとめ、並びに追補など。
改めて感じたのは「自分のブログの一番の読者は自分」と、「自分に向けて」が占める割合が高い方の多さ。
であるならば「画面に映る自分(の過去記事)」にそれぞれの感慨を持つこともあるのだろう、と想像はできます。
ですが……それはやはりどうしても自身には実感できなかったりします。
「読まれてナンボ」と言い切るのはそれほど珍しいのか、今度は前提のその部分を問いかけてみたくなりました。
「読まれたいと思うなら(PDCAを回すように)読み返さないとは何事か」と批判が飛んできそうですが、書き忘れていたことの一つ、
過去に書いた文章の中の「結局伝えたかったこと」はわりと長く憶えているものです、反応はおろか大抵は読まれもしなかった、という、結果伝わらなかった未練として。
そして文中リンクとして二度三度リベンジを試みるのですが...
……という未練たらたらで読み返したりすると画面に怨念を注ぎ込みそうで(笑)。
個別にすこし。
まなめさん、yas-toroさん、
ブラウザのホームに設定とは……正直想定外でした(^^;
ネットには自分のブログより面白い情報がたくさんありすぎる。
同意(笑)。書くより読むほうが正直なところ何倍も楽しいです。
でも、(そして寂しい結果も予想できるのに)なぜか「自分の視点」も書いてみたくなるんですよね。
そして書き忘れていたこともう一つ。
「(ブログの)サイドバーのコンテンツ、もしくはそもそもの要不要」の話題で、「自分用」と「訪問者用」で考えを分けている記事をいくつか見て、「自分用として」という考えが私には新鮮だったのが元々のきっかけ、でした。
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