続・「悪いのは奴らだ」
「悪いのは奴らだ」(2006.11)の文章を打っているときに念頭においていたのは実は『「無断リンク禁止」問題』だったりしました。
"リンクは自由である"派は"無断リンク禁止"派に「リンクされたくなければそれなりの仕組みを作って対処すべきだ」と言うのですが、もし私が"無断リンク禁止"派だったとしたらこう言い返すだろうと思ったので。
「なぜ正しい側がこまごまと策を弄さなければならないのか」、「悪いのは奴らだ」。
"リンクは自由である"派も同じフレーズが使えるのですが、「なぜ正しい側がこまごまと手順を経なければならないのか」と。
「異文化を認めろ」は「オマエの文化は認めない」の言い替えである。
「悪いのは奴らだ」と双方が信じている(ように見える)。
こりゃ難しいわ、と思う。
……という感想だけではアレなので。
個人的にはこの問題に代表されるように「文章の内容そのものではなく、むしろそれ以前の作法の問題を主目的にして」ワイワイやる(できる)のがネット本来の使い道(醍醐味)だと思う部分もあるので(リアルに(傷が)波及しない限りは)もっとやれー、という点なきにしもあらずですし(笑)、夢があるといいながらこういうことを提案するのは矛盾ではあるのですが、もう"対立する文化圏"同士は物理的・ネットワーク的に分けてしまったらどうだろうかと。
「無断リンク禁止」と「リンク自由」、
「何かしら"仕事"に関係している」と「純粋な趣味余暇娯楽用途」、
「喧嘩上等・馴れ合いうぜぇ」と「ネットでまで殺伐としたくない」、
「世の中に物申すため」と「ネットではネットのことを」、
「絶対実名主義」と「匿名でもいいじゃない」、
等々……
例示しただけで2の5乗=32通りになりますか、それぞれ独立のネットを構築して相互不可侵にする、ような。
私?もちろん全部後者です。
対立を避ければいい意味での思いがけない出会いも減りそうですが、少々コミュニティを小さくしていったところで「発想の多様性」はそこそこ残るような気もします。根拠があるわけではないですが。
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