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2007.04.29

CRM - Communication Resource Management

直接のきっかけは 『半径ワンクリック』を広げてみよう ひとりごと/ウェブリブログ を読んで。

気持ちは分かるし興味は尽きねど・・・

半径ワンクリックを拡げることのたったひとつの阻害要因:「書くこと」。
もとい、「書くか止めるか画面の前で考え込むこと」(私の場合)。

実際、もう、読むために使っている時間って、現状の巡回範囲ですでに飽和していないですか?
だとすると書く(書こうとする)ことに時間を使わずにその分のリソースを読むことに振り向ける、しかない。

……ことは単一のツール(たとえばブログ)における読み書き(の配分)にとどまらず、

コミュニケーションツール(サービス)は数多あって(しかも増え続けて)、そのどれが成長するか(残るか)なんて分からない以上「とりあえず何でも手を出しておく」のは確かに一理あるかもしれないですが、
リソースを散逸させてしまって個々への関与が薄いままでは結局「(もとから期待値としてはたいして大きくない)そこで本来得られるかもしれないなにか」をすべてにおいて得られない結果になるのではないでしょうか。


興味の対象は増え続ける、回線速度のストレスはなくなった、
しかしインプットアウトプット全部ひっくるめて(余暇に使える時間で)処理できるデータ量は無限ではないはずで。

"自分にとって良質な"コミュニケーションを得るためには(なんでもかんでも手を出すんじゃなくて)効率的/効果的な(と自分が信ずる)リソース・マネジメントを考えたほうがいいかもしれません。
それぞれへの時間あるいは思い入れの配分というか管理というか。


※本来CRMとは[Cockpit(or Crew/Corporate) Resource Management]の略で、
[安全で効率的な運航を達成するために全ての利用可能なリソースを活用すること]と定義されている、
「Cockpit(or機内/社内)で得られる利用可能な全てのリソース(人、機器、情報等)を有効かつ効果的に活用し、メンバーの力を結集してチームの業務遂行能力を向上させる」という、航空業界から始まった取り組みのこと。

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2007.04.28

「宙ぶらりん」の楽しみ

「現代では、なにかを望めば、たいていのものは手にはいります」
「なるほど。そういう時代だった」
「ただし、物品にかぎります」
─藤原伊織『ダナエ』(乱歩賞作家 青の謎(講談社:2004年)所収)より─

ちかごろはたいていの情報も手にはいります:キーボードの前から動く必要もなしに。
それは間違いなく「進化」ではあるのですが。

たとえばくらしの中でふと浮かんだような「素朴な疑問」のたぐいというのは、あえて未解決の「宙ぶらりん」の状態で置いておくのもまた楽しみであるような。
仕掛けのわからないマジックのようなもので、からくりを知った途端に興醒めしてしまうことって、ないですか?

本屋に行けば『誰かに話したくなる』なんて銘打った"雑学"を集めた文庫本がいくつも平積みされていたりしますが、謎は謎で無くなった途端に忘れてしまうような気がするんですね、いわゆるトリビアであればなおさら(^^;。


いまの時代、「あえて調べない」というのもひとつの贅沢と言えるのかもしれません。


……ついこの前、他人の素朴な疑問に速攻でぐぐって差し上げまして。
我ながら無粋なことをしたかなと、そんなことを思ったのでした。

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2007.04.24

「上得意様謝恩祭」は可能だろうか?

他人の不幸は蜜の味: 書き続ける事で、読者を維持できるのか

更新せずにしばらく放置していると「ああ、このままでは僕のブログはアクティブでなくなってしまう」というような不安感を持つ。

それはきっと精神衛生上よろしくないとは思うのだけど……あるある(苦笑)。
そんなことを感じながら更新してみたら更新後の方がアクセス減ったりして、もう・・・


さて、

次に僕が書きたくなるまで、読者は「待って」くれるのか?という不安感。

うーん、ストーリーというか、過去何ヶ月だか何十エントリだかの累積を背景に読んでいただける「固定読者さん」であれば、わりと「待てる」のではないかな、と思います:読者としての私は待ちますし。

ただ、まぁ、固定読者さんという「上得意様」をお待たせしてしまう焦り、のような感覚も先に引用した不安感のなかにあるのでしょうね。


サイト全体の、というのもありますが、エントリの方向性にも2つあって、そういう「過去ログから通しで」読んでほしいものと、もう1つは前後の脈絡なんて関係ない、ちょっとしたTipsとかふとした雑感とかいったようないわば「単発もの」と。

で、比較的後者(単発もの)のほうが読まれやすかったりするんですね、エントリ単位で読まれる、エントリ単位でしか読まれない、どちらの表現かはともかく、そういう性質もありますし、"新規入会キャンペーン"というか(笑)、別に狙ってできることでもないですが。


そんなこんなで「待ってくれている固定読者さん」に甘える結果になりがちなのですが……
では具体的にどうやって日頃の感謝の気持ちをお伝えできるのでしょう?
何をすれば「上得意様謝恩際」といえるのでしょう?
そもそも可能なのでしょうか?

そんなことをふと考えました。

いや、別に商売でもマーケティングでもないのですが。

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2007.04.17

【Answer】読むのが好きです、何倍も。

tanabeebanatの日記 - 読むのと書くの、どっちが好きですか?

あなたは読むのと書くのどっちが好きですか?

という問いかけに答えて。

そもそも言及先での想定は(主にネット外をインプットとする)感想系サイトとのことですので、ウチはそれにはあてはまらないのですが(^^;。

約1200日にわたって平均3日に1エントリのペースで"ブログする"ことを続けてきましたが、いまなお「読むほうがはるかに楽しい」と断言できます。
そう言い切るのは(書き手として、ここを読んでいただいている方々に)悪いのかもしれませんが……でも。

たとえば、思わず爆笑させられるセンス。
あるいは、思ってもみなかった意外な視点。

そういった刺激が得られるのは、やはり「ほかのひとが書いたもの」によって、ですから。



同所:
みんながみんな書く楽しさに気づいてしまったらどうなるでしょうか?
みんな書くのに夢中になり他の人が書いた物は読まなくなります。

かつてそのニュアンスでまともに投稿出来ないことには烈火のごとく怒るのに新着一覧が更新されないままでも抗議が殺到したりしないことを嘆いたりしました。
いまも傾向はそれほど変わらないとは思いますが、多少そこからの"揺り戻し"があるかな、という感覚もまたあったりします。
上記文中リンクの過去記事の続きではソーシャルブックマークのことを嫌うような表現をしていますが、それとは違った視点で、ソーシャルブックマークのおかげ、というか。
どなたかが書かれていましたが、かつてなら(自分の)ブログで書いていたような感想をソーシャルブックマークのコメントで済ませてしまうようになった、とか。
一事が万事で言うわけではありませんけれども、それによって「読む」ことによりリソースを振り向ける結果にはなっているでしょうし。
もっと極端(?)に"かつて書いてたこともあるけれど今は読むだけ"という層も結構いらっしゃるような...?


自分の場合「書くことの楽しさ」というよりは……
『新規記事の作成(投稿)』前後に"今度はどんな反応が来るかな"ということを空想するのが楽しかったり。
……そしてたいてい空想のままで終わるんですけどね(苦笑)。

大体がさんざんにネガティブなことを書きながら、そのくせ自分は書き続けている、ってのは・・・
「いつも読んでくれている」のは数人でしょうか、ゼロじゃないけどちゃんと把握もできない程度に脆弱な、そんなつながりでも、失いたくはないから・・・かな。

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2007.04.15

お芝居は、もうオシマイ?

……おやぢギャグなのは自認しますがなにか。
いや、(目的が何であれ)演技としての「ネット人格」というのは段々やりづらくなってゆくのかなという気がしたので。

Twitterのお祭り騒ぎを横目で見つつ、
べにぢょのらぶこーる - ネカマってどうして叩かれるの?を読んだりして。

個人的には性別に限らず何を『偽って』いようが『ばれた』ところで「あーそうだったんですか」以上の感想はないですが、まぁ一般的には悲喜こもごもがあるであろうことは分かります。
私?ウソを貫く能力も無いので「黙して語らず」でやってきたはず・・・ですが長年やってるとどうしてもボロが(^^;;;

かくして自分がプロフィールを明かさない方針でやっているだけに(自ら公開しているとはいえ)ひとさまのを見るのはアンフェアな気がするので周囲の解説だけで判断しているのですが、Twitterに思ったのは
「これはいい属性公開(&推測)ツールですね」ということ。

まぁTwitterそのものの賑わいが続くかどうかは別にしても、一度出たコンセプトは類似のものがもっと手軽になってどんどん出てくるでしょう。
「みんながやってる」という同調圧力や「やましいことが無くばできるだろう」という有言無言の圧力にさらされるとしたら……
頑なに使わないとあらぬ言われようをされたりして、
さりとて「生活の記録」となると事実に少々の改変を加えるならまだしも、創作だけを矛盾無く並べてゆくのは相当に難しいんじゃないかと。
使っても使わなくても「演技の炙り出しツール」として作用しそうで(苦笑)。

ロールプレイとしての「ネット人格」というのは段々とやりづらくなってゆくのかも。

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2007.04.10

「素通り禁止」の次に来るもの

そんなダレた態度は禁止!

ekken : 「素通り禁止」に思うことの:

……と、ハナクソをほじりながら考えました。

という〆のフレーズで思い出したこと。

ふだんならお風呂上がりカクテルグラス片手に遥か宇宙空間を経由してふりそそぐCS放送の環境音楽をバックにおやすみ前の優雅な巡回を楽しむ私ですが(以上すべてイメージです)、このまえの休日だったか、昼日中に賞味期限間近の「おかき」をぱりぽり齧りぃのお茶啜りぃのでダラダラと眺めていたんですね、何かは忘れたけど、なんせおカタい長文エントリを。
そのときにふと思ったんです、このエントリ書いた人、こんなダラけた態度で読まれてると知ったらさぞ落胆するやろなぁ、って(^^;。

ということで(?)、「読み逃げ禁止」「素通り禁止」に続く次のトレンドは、「姿勢を正して読め」(ダレた態度で読むの禁止)、になると推測。

例:
寝っ転んで読むなど言語道断!この精魂こめたエントリを穢すな!
とか、ね。

いよいよ閲覧態度にまでマナー規制が!



……とネタで終わらせておけばよいものを蛇足にもいつもの結論につなげるわけですが。

万感の想いをこめて書いたエントリだったりすると読み手にもそれなりに居住まいを正して読んで貰えているような錯覚に陥りがちですが、もちろんそんなはずはないわけで。

それこそハナクソほじりながらだったりムダ毛の処理しながら……とかは極論ですけど、何度も書いてきたように(巡回等で)画面に向かうのは大多数にとっては余暇としてであって、基本的には「リラックス・タイム」なんですよね。
そりゃ余暇の時間だからといって真面目な事を全く考えないわけではもちろんありませんけれど、でも書き手の想いの深さやシリアスさに比例するように、結果としての受け手からの反応の軽さ(or無さ)への失望も深くなってゆくような気はします。

(アクセスの)1%にでも何かを思ってもらえれば御の字であって、その可能性がある限り無意味とは申しませんけれども、やはりそういうことで書き手と読み手の姿勢なり意識なりには決して埋め得ないギャップがあることへの認識(というか覚悟)はあったほうがいいでしょうね、と思うのでした。

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2007.04.07

『だから、あなたは、始めないで』

目的があって、あるいはただ何となく、あるいは煽られて、今なら大抵ブログでしょうが、「ネットに何かを書く」世界に参加するとします。
多かれ少なかれ、そこにはなにがしかの期待感や希望といったポジティブさがあると思います。
ですが……

琥珀色の戯言 - WEB上の「さまよう悪意」

WEBに日記や文章を公開するというのは、本当に怖いことなのです。「繋がれなかった人と繋がれる可能性」がある一方で、「繋がらないほうがいい人と繋がってしまう危険性」もあります。「話せばわかる人」としか接点が無かった人にとって、「話しても聞く耳すら持ってくれない人」「自分の解釈でしか生きられない人」とまで直接繋がらなくてはならないというのは悲劇なのかもしれません。

『斬(ざん)』 一般人の声は大衆まで届かない

他の人が、そんなこと知らずに同じこと書いたりするのですよ。でもそれは仕方ない。でね、その人が、影響力持ってると、その人の記事が注目されて、自分が最初なのにスルーされちゃうんですよ。
(中略)
Web でいくら個人で情報発信できると言ったってね。人が人である限り、そういった政治的な問題がどうしても関わってくるんだろうなって思うのですよ。
(中略)
 ネットでは、一般人でも何とかなりそうだと当初考えたていたけど、どうやらそれは幻想だったようです。

……遅かれ早かれ、こういう現実に気付くときが来ます。


先に参加されて、そして先に気付かれた方々(もちろん引用したお二方にだけではなく)には、まだ始めていない層に向けて、はっきりと結論を記してほしいと思います、
それでも書くことにどっぷりハマってしまって今更どうしようもない私たちを反面教師と見るべきだということを、

『だから、あなたは、始めないで』

ということを。

まぁ、もうちょっと前向き(?)に、「訓練って分かってる?」というのでもいいですけど。

自分もよくやるので人のことは言えないですが、「ほのめかしたつもり」では読み取ってはもらえませんので。


えっ、それとも「存分に悲劇や絶望を味わうがよいわ!」と?
まさかそんなことはないですよね。


「得る(かもしれない)もの」についての話はもう充分だから、
もうちょっと「犠牲(をへらすこと)」について考えましょうよ。

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2007.04.02

果てしなき 相手探しの 夢のあと

えっと……真に受けて反応しても大丈夫ですよね?(^^;

suVeneのあれ: エイプリルフールにほんとどうでもいいうそ記事をかくブログがむかつく!

エイプリルフールで笑ってもらうような嘘をつきたいのならば、身近な人間だけに限定しておけばよいのに、不特定多数に公開してしまうのは、なんなのだろうか。

えっ?

エイプリルフールだろうが何だろうがそもそも(不特定多数に)読まれることを意識して"ブログする"こと自体、「身近な人間」では"話にならない"からではないのですか、と思っていましたが、
違うのでしょうか。


たとえば周囲は「テレビがないと生きていけない」とのたまう人ばかりの中で一人だけネット三昧だったり、
あるいはネット三昧といえど見ている世界が全く重ならなかったりして、
『(リアルかネットかを問わず)従前から自分の持つ人間関係の中では会話が成り立たない話題について話がしたいから』というのが「不特定多数に読まれたいと思って書く」おおきな動機ではないのかなと思っていましたが、稀有な考えでしょうか。


反応が気になるのは、話ができる相手が居ることを願って書いているから。
夢のあと、と書いたのは、実際にはアクセス解析を眺めては「あー、また今度もハズしたか」と思いつつあがくことの繰り返しだから。

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2007.04.01

さよならフォーラムまたきてfolomy

……ということで、昨日、2007年3月31日を以って「フォーラム@nifty」は活動を終了し、名実ともに歴史となりました。

そして、本日4月1日より、その志の後継となる[folomy]が正式オープンとなりました。

Folomy

転載自由とのことですので長いですが・・・
folomy - プロフィールより:


■folomy が目指すもの

folomy は、ニフティ社のサービスであった「フォーラム」というコミュニティサービスによって培われてきた文化を引き継いだ上で、インターネット環境に相応しい、新しいコミュニティを目指しています。

なので、従来のフォーラムに囚われることなく、しかし、2ちゃんねるのような匿名コミュニティでもなく、 mixi のような「個体個」をベースとしたものでもない、「多対多」の「コミュニティ群」を、「豊富な経験のある運営者が支える」ということを基本として構築していきます。

■folomyのシステム

中心となるのは mixi クローンのSNSツールである OpenPNE をベースとして、手を入れたシステムになり、それは 、http://folomy.jp/heart/ 配下のurlにて提供します。

完全にゼロから構築したシステムではない故に、なんとか間にあったわけですが、その代わり、改善点として認識していても、容易に修正が出来ないところも残ってしまっています。

申し訳なく思いますが、徐々に改善していきたいと思いますので、よろしくご意見・ご報告などをいただけますようお願いします。

その他に、フォロ毎に WebサイトやMovableTypeによるブログ、PukiWiki などが展開されていく予定です。

■folomy の運営

有力な企業スポンサーがいるわけではないので、各自マネージャーが各々で費用を出し合って、SAKURAインターネットの法人用専用サーバを借りて、始めることとなりました。

その中心になっているのが folomy事務局で、フォーラムマネジャーの有志5人で立ち上げました。現在、開発やサーバの担当者も加わり、10人程度となっています。

また、サーバ契約やSSL証明書の取得を行う上で法人格が必要(あった方が有利)となるため、事務局代表の松木の会社である「有限会社パムリンク」内にfolomy事務局を置くこととしました。

■ folomy という名前

folomy という造語ですが、始まりは「フォロ」(foro)という単語でした。「foro」とは「forum」のスペイン語、イタリア語表記です。

その音と、「follow me」とを引っかけて、「folomy」という名前が生まれました。

# 私に続いてきて、なのか、突撃!なのかはわかりません(笑

そして、その「folomy」を形作るのが「folo」(ここではもう forum でも foro ではありません。フォロです)であり、その内に「会議室」があるという構成としました。

今だと「掲示板」という方が分かりやすいだろうとは思いますが、しかし、「掲示」という一方的な発信ではなく、「会議」という「コミュニケーション」に重点を置いた言葉を、敢えて選んだのが、我々のこだわりです。

■フォーラムという言葉

各フォロは継続性を重んじて、「~フォーラム」としているところがかなりあります。実体としても、今までのフォーラムそのものです。

しかし、folomyは「フォーラム」サービスをそのまま行うところではありません。そして、「フォーラム」という単体の言葉は、ニフティ社の商標となっていて、我々がその言葉を使ってサービスを行うと、ニフティ社の権利を侵害することとなります。

一般名詞として使われているというのは、我々自身も認識していますが、しかし、商標として登録されているという事実、ネットワーク上のコミュニティという従来と同じ分野でサービスを提供すること、なにより、安易に他者の権利を侵害しない、ということで、新しい「フォロ」(folo)という言葉を使うこととしました。

ただし、個々のフォーラムが継続して、その名前を使うことはニフティ社の承諾の元で可能となっておりますし、各フォーラムの知名度の問題もありますので、「~フォロ」とわざわざ変更しないところが多いのです。

■最後に

さて、いろいろと書かせていただきましたが、ここは2ちゃんねるに代わるものではなく、mixi に代わるものでもなく、フォーラムに代わるものでもないと云うことです。

そのどれでもない、皆さんとの場所、それを皆さんと一緒につくりたい。

それが我々のハートなのです。

http://folomy.jp/heart/ という url に思いこめた想いが、少しでも実現できるように頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

Tiger@folomy事務局


補足しておきますがニフティ株式会社とは関係のない世界であります。
従って(ということもないですが)参加することとフォーラム経験者であるかどうかは何の関係もありませんので、興味があればぜひ。
SNSのしくみを使っていますが、個人の日記の機能は存在させないとのことですし、
中での発言等、ログは(インターネットに)公開する方向とのことです。

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