結局「憶えているのは自分だけ」だとしたら、やはりブログは「自分向け」なのだろうか
私は「読まれてナンボ」と思っていますし、何度もそう表現してきたのですが・・・
アクセス波がばばっと来たりしても、一年たったときにそのことを誰が覚えてるんだろうってくらい、ネット上で流れる時間は早い。でも一年たっても二年たっても、自分が書き留めたものの中にいる自分が自分にはわかる。
ものすごく共感できてしまって。
前段、その「すべてが流れてしまうせつなさ」みたいなものを時が経つほど強く感じるようになってきて(だから"嵐のような反応"といってもあまり真に受けることもないと思うという表現になったりするわけですが)。
だから「読まれてナンボ」といっても記憶に留めて欲しいということでもないんです、
ぱっと見てぱっと(次に)移る、のではなくて、数十秒でいい、ざーっとでも読めるだけの間あなたの画面に映っていて、次のどこかへ移る間際にでも、「ふーん、そうかぁ」と何かを思って頂けたなら、それでじゅうぶん有難いのです。
……文字通り「有難い」ことでして、(実力不足で)なかなか思うようにいかないですが。
で、後段につながるわけですが、
確かに「(Windowsの)メモ帳を前にしてキーボードをカタカタ叩いた結果」というのは結構長い間憶えているものですね。
ただ、まぁ、わりと憶えているだけにあえて読み返したりは滅多にしないし「あのときにあんなこと考えてた自分」に感慨を新たにするなんてこともあまり無いですが(私は)。
それはともかくとして……
自分の書いたことは結局自分しか憶え得ないのだとしたら、やはりブログは「自分に向けて書くものです」としか言い得ないのかもしれない。
と思いつつも、
いややっぱりそれ(自分向け)を第一義にはしたくない、という思いとでざわざわせめぎ合っている、
そんな心情の記録。
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