「それが大事」と人は言う。
北の大地から送る物欲日記 - なぜネット上に何かを書くのか:
たとえ直接反応が無かったとしても、自分が書いたことを見てくれている人がいる。反応がなかったとしても、自分の書いたことはじわじわとどこかの誰かに伝わっている。
それを『信じれるかどうかにある♪』ということなのだろうとは思うのです。
……と、数日前の起きぬけにラジオから流れてきたその懐かしい曲につなげてみる。
ええ、いつもネガな私だって心の奥底では信じていますとも。そう思ってなければやってられないですし。
・・・我に実感を。
不定期にいわゆる個人ニュースサイトに拾われることもあって(お世話になっております>関係各位)。
『もう「[コメント(0)|トラックバック(0)]の死屍累々」とは書けない』程度の累積にはなってきて。
それでも(公開後)1~2日の間にそういう"僥倖"に恵まれることのなかった日常の、
「書けども書けども伝わらない(どころか読まれない(どころか見られもしない))」という実感もまた、決して"なかったこと"にはできないから、その"事実"を伏せた"信仰のことば"は書けないから。
コツコツ書いていればアクセスはついてくる?
うん、私には当てはまらないよ。
トラックバックでつながりを増やしてみれば?
うん、やってるよ、
言及を断られる──(届いたことを現認した)言及TBを消された、の意──ことが立て続けに起こっても、
懲りずにね。
……「信じぬくこと」のなんと難しいことよ!
関連→とはいえ、「信じるものは救われる」感なきにしもあらず。(2006.08)
信心を綴るみなさんへ、
実感を持てているみなさんへ質問。
「信じ続けたから実感を持てるようになった」のですか、
「実感を持てたから信じるようになった」のですか。
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