気づくこと、傷つくこと
ネットでの傷なんて『ほとんどは』大したことないのだけど。……ほとんどは、ね。
こういうのに耐えられなければ楽しく使えないのは悲しいけれど、でも僕はみんな否定に対する耐性が低すぎるような気がする。今までの人生で自分が認められないことなんて山ほどあっただろうに、blogは否定され得ないなんて都合のいいことはありえないし。
いやいやいやいや(笑)。
たいていの人にとって"ネットコミュニケーション事始め"というのは友人知人とのメールであって、そこではそんな(はっきりとした)否定をされるようなことってあんまりなかろうと思うのです。
そんなメールのノリそのままの延長線上で公開の"日記"を書いちゃったがゆえの悲劇、というのはわりとよくある話なんじゃないかなぁ、と。
読み手として自分が対象とする相手が、関西弁でいうところの"ツレ"、といっても伝わらんか、まぁ(自分と気の合う)仲間というのか、そういう自分と近いひとたち「だけ」であるように錯覚した、あるいは思い込んだ、という。
犯罪告白を例に出すと言いたい事とニュアンスが狂ってくるような気がしますが、"中の人"の心境としては似たり寄ったりなのではないでしょうか、"ツレ"以外に読まれるなんて想像もしてなかった、という点では。
そうじゃないんだよ、ということ、
ウェブに向かって文字列(とは限らんが)を放つにあたって、
画面の前で待ち構えてんのが自分のツレだけや思たら大間違いやでえ、ということを、
そこがたとえ自分の管理地であっても賛成者以外立入禁止というわけにはいかないもの、ということを、
実体験で気づく。
……時に想定外の量and/or強さの否定反応に傷つくことを伴って。
その傷が、気づきが、どうか「通過儀礼」といえる程度で済みますように、と思います。
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