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2007.10.28

これでやっと一人前(笑)

(プロバイダの)アカウントに来る迷惑メールが1日あたり3桁を超えてかれこれ1年以上は経つTristarです、こんにちは。
フィルタリング噛ましたところで(保留分の)確認はしておきたいのでたいして手間の削減にはならなかった件。

さて。
Auone
用もないのにうれしそうにサービス開始日にリトライの嵐をかいくぐり設定した「au one-ID」と「au one メール」。
設定からちょうど1ヶ月、はじめての迷惑メールが到着しました\(^o^)/
うん、いまの時代、やっぱりこの通過儀礼は受けておかないとね(笑)


ブログでも、
(もちろん歓迎はしませんし、対処するまえに検索エンジンに拾われて気分の悪い思いを味わう羽目になったりもするわけですが→通過儀礼の後で(2005.09))
なんかカネ稼ぎだのあだるとだのの「一目でそれとわかる迷惑トラックバック」を受けると、ああこれでやっと一人前として認知されたかな、とか思ってしまう私はネットの毒にやられてますかそうですか。

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2007.10.27

時間 と 空間

誰が言い始めたか、「ネットは時間と空間をとびこえる」という言葉から思いついたことふたつ。

※とびこえるかもしれないけど、断裂させたり激しく捩れさせたりもしていますよね。

前エントリより再掲しますけど、『リアルで近いひとは、ネットではお互い遥かな別世界を見ていたりするもの』ですから。


※借り物の無常、借り物の慕情

圧倒的多数はレンタルサービスであれこれ使ってわいのわいのとやっているはず、ですが。
『Borrowed Place, Borrowed Time』(借り物の場所、借り物の時間)なんて無常感があんまり漂っているように感じられないのはなんででしょうね。

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2007.10.25

非対称?

たとえ「いつもの巡回先」──つまり、ネットでの近いひと(一方的、かつ勝手な親近感の場合も当然含む)──からでも。
リアルでの周囲からは有り得なかったような「思ってもみなかった視点からの発想や意見」に新鮮な驚きを受けることは少なくなくて。
(ただ、まぁ、長期の記憶に残るかといえば怪しいので、悲しいかな「勉強になる」とまでは言えないですけれども)


前にも書きましたけれど(→此方での近さ、彼方での近さ(2006.04))、
リアルで近いひとは、ネットではお互い遥かな別世界を見ていたりするもので。
だとすれば『リアルで近いひとが持ち寄ったそれぞれの巡回先』を合わせればそれもまたより広い視野が持てる……かというとどうもそうはならない、そんな気がするのです。なんとなくですが。

たぶんお互いの世界に(どうしても)興味が持てない、ことがわりとよく起こり得るんじゃないか、と思うのです。(他人が楽しんでいるらしい世界が)面白いと思えない、どころかいっしょうけんめい書いてあることばの意味すらよく分からなかったりして。

まぁだから仮に知人バレしてもある意味安心(笑)だったりするわけですけれども(*)それはともかく、この「非対称性」って一体どういうわけなんだろうなと、ふと。

……そんな非対称なのは私だけかもしれませんが。


(*)話の流れでブログの存在をほのめかした、しかし「見つけた~」という報告以上の感想を貰った例がない、つまり継続ウォッチ対象にはならない

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2007.10.22

続・大して変わりばえのないもう一つの世界

テレビで。
被災地のドキュメントだの避難所からの中継だの、そんなもん繰り返したって被災者にも視聴者にも役に立たへんねん、ええからライフライン情報だの他のニュースだの映せや、なんて震災のとき思ってました。
新聞で。
1面トップニュースが巨大すぎて、平時なら載っていたであろう他のさまざまな記事が吹っ飛んでしまうことはよくあります。
同じようにネットでも
ある一つの話題に席捲されて、平時ならもっと取り上げられていたであろう他のさまざまな話題が吹っ飛んでしまうことは少なくないのかもしれません。

ネットって気持ち悪いときがある。 - 白い戯言

凄いとは思うけど、何か一部のネット界隈だけでこうも凄く盛り上がるということには一種の気持ち悪さを感じる。

ネット「の」、ということではなくて。
ネットがいくら「無限」であろうと「フラット」であろうと、ときに極端な『話題の序列』というのはどうしても出てくるもので、その意味では『大して変わりばえのないもう一つの世界』でしかないのかもしれません。

前に書いたのはこれ→大して変わりばえのないもう一つの世界(2006.04)


この気持ち悪さっていうのは僕は結構前から思ってたことなんですけど、
どうしようもないから諦めるべきことなんでしょうかね?

※「ある一つの話題に席捲される」ことについて:
"世間話はみんな○○でもちきり"というのが文字になったに過ぎず、「ネットの気持ち悪さ」とは違うかもしれません。
国民性とかなんとか、そういう方面からのアプローチが必要かもしれません。

※平時なら取り上げられていたであろう話題が吹っ飛んでしまうことについて:
これは我がことになるとものすごく悔しい思いをするものですが(苦笑)、他人様の興味の方向をコントロールするのはまぁ諦めたほうが無難かもしれません……

※「(自分にとっての)ポータルが興味のないノイズに汚染されてしまう」ことについて:
これは『ネットの「無限」さ』をポジティブに考えると何とかなるかもしれません。
平時から代替のチャンネル、というか、一時避難先、まぁあんまり世事に左右されなさそうな情報元(笑)を確保しておく、とか……。

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2007.10.21

せわしないネットと私

おっと。
「せわしない」で通じるんでしたっけ。これもしかして関西弁?

ニュースを紹介する人のジレンマ - 北の大地から送る物欲日記

ブログでどこかの記事を参照しながら記事を書いたとしても、その参照元を読んでもらえないってのは、多くの読み手が淡々と個々のエントリを消費するがごとく読んでいるってことなのかなあ、と感じています。ネットの面白いところは、リンクを辿ってどんどんと関連情報を遡っていける部分にあると思うのだけど、そういう人は少数派ぽい。

うん、(今となっては)少数派ぽい(笑)。

前に書いた→いったりきたりで日が暮れて(2006.12)

それと「淡々と消費」は間違いないと思うけれどそもそも「読んで」くれてるのかなと(苦笑)。大半は(一瞬、ぱっとだけ)「見る」「眺める」というニュアンスのほうが近いのだろうなという感覚はあります。

いつからか、↑のごとく積極的に過去ログへの文中リンクを散りばめるようになりましたが、やはりなかなかクリックされるものではないわけで(とはいえついこの前例外が起こったし、やめられないんだなこれが)。
それはともかく。

あらためて「なんで"ねっとさーふぃん"しなくなったのか」を思い返すと、『せわしなくなった』というのが大きいのかなと。
Yahoo!から適当にリンクたどっていって、うわもう30分も繋いどったんか!なんてあわててダイヤルアップ接続を切っていた10年前……と比べるのは極端すぎるにしても、定期的に見て回りたい(というか、見て回らないといけないと思い込んでいる)場所が増えすぎて、それで時間いっぱいいっぱい、どうしてもそっちを優先するからリンクをたどってたどって、という深追いをしなくなった、という。

ほかの「ブログ見て回ってるひとたち」の実情はわかりませんけれども、それぞれが見つけた「自分なりのポータル」から1クリック未満の範囲(引用先のタイトル/引用部分)で止まってしまう、というのは自他共にあるように思いますがどうでしょうか。
それがたとえばニュースサイトであったなら、「自分のサイトをポータルにしてくれてる」という意味では成功かもしれないですし。

……「新しい発見」より「いつも見ているところを見過ごす」ほうが、なんというか、心理的にイヤじゃないですか、なんだかんだ言うてもやっぱりいつものツレとだべってまうし、だべってたら眠たなってもひとり寝てる間に面白い話されてたら悔しいから結局寝られへんねん、みたいな(笑)。


「かつての醍醐味」を復活させようと思ったら、いまの巡回先の"リストラ"が必要になってくると思うんです。ある時期経てばまた溜まってくるから、繰り返し。
上述したような"後ろ髪引かれる思い"をそうそう振り切れるものじゃないから、難しいですけどね。


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2007.10.10

かゆい話(笑)

北の大地から送る物欲日記 - 誤字・誤表記・間違った意味での使用が気にならない人は多い?

「iPod」を「IPOD」「Ipod」「I-Pod」などと書いてあるのをみると、ものすごい背中がむずがゆくなるんですが、気にならない人も多いんでしょうか?

うはは、気持ちは分かる(^^;。

『WikipediaのことをWikiと略すな!』と憤るひとが『MIXI』だの『キャノン』(ちなみに小さい「ャ」が誤り)だのと表記したり……はさすがにないかもしれませんが、"自分のフィールド"でないものはどうしても疎かにはなりがちかもしれません。

私が見ていて「むずがゆくなる」のは、それらのことより『字が無いから表示できない』もの、ですかねぇ……
細かい話では「吉野家」の件とか、
(昔書いた→「俺々サギ」ではないらしい(笑)(2004.02)末尾)
(中国)深【セン】(セン=土へんに川)と書いてあるのとか、
某J事務所所属の「草ナギ」さんとか。

話はそれますが、「草ナギ」さんの件、意外と(これも「以外」と誤記するひとが(略))そっち方面から超漢字が(一般向けに)広まるんじゃないかと思っていたことがありますが、そんなことにはならなかったですね(苦笑)。

それはともかく。
「略語の流儀」も、違うひと同士では「むずがゆく」なることがあったり。
『近畿日本ツーリスト』を「近ツー」と略すか「近ツリ」と略すか、とか、
『ファイナルファンタジー』は「えふえふ」か「ふぁいふぁん」か、とか(笑)。


等々、追いかけていけばキリが無い話なので「むずがゆく」なっても心の中でツッコむに留めています。

自分のブログの誤字脱字ですか?
「自分のブログが引用された他人のブログ」を読んではじめて「うわーっ」と気づくこと数度。
これって、引用されてからじゃ、直すのも気が引けるのですが、みなさんどんなもんでしょ?

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2007.10.09

いつの日か、あのブログへ。

トラックバック撃ち込んでやる(もちろん言及目的)。
……なんか復讐劇みたいですが。

さっき、あるブログをブックマーク(ソーシャルなやつじゃなくで自分のブラウザの)しました。そんなことを思いながら。

ものの見方・考え方だったり。
文体だったり。
そんな具体的な言葉では表現できないなにか、だったり。

憧れ、というとニュアンスがきつすぎるんだけど、いつか"話"をしてみたい、そんなひとのブログをずっと読み続けていて。
……自分も言及できそうなエントリを、ただ黙って待ち望んで。

この思い果たすまで止めるわけにはいかない、とか、仇討ちじゃないのでそこまでは考えませんが(笑)、
いつか言及してやる、そう思いながら読み続けるブログというのが今までも今もいくつかあったりして。


いくつかはわりとすぐに、いくつかは年の単位ののちに思いを果たして。
ま、でも、そういうときは決まって(それ以上続く)"話"にはならなかったりするんですけどね。

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2007.10.07

中くらいの届き方になるために必要な2.5の条件

そして、(その届き方の結果としての)「中くらいの反応」をもらうためにも。

  • 自分にとって適切な場所の選択
  • 個性の実力
  • 気持ちの持ちよう(抽象的なので0.5)

深く考えないで捨てるように書く - 中くらいの声でしゃべる

仲間だけではなくもうちょっと広い範囲で交流をもちたい、新しい出会いもしたいけど、大きくかけ離れた立場の人とは接したくない。いわば、中くらいの声でしゃべりたい、拡声器やマイクは使わないけど手をメガホンにして「誰かいませんかー」と数メートル先まで届くくらいの声で呼びかけたい

……というニーズの先にあるものは「中くらいの反応が欲しい」──信者集会になりたくはないけど、ネガティブな反応が卓越するのもイヤ──という思い、と読めてしまったのですが曲解だったらごめんなさい。というか自分の願望です(笑)。


悪意を持って待ち受けているひとにまで届いてほしくはない、という意味のコントロールを仕組みとして持たせるのは難しいと思いますが、
(この間書いた→気づくこと、傷つくこと(2007.10))
しかし書かれた文章で判断する限りそういう「中くらいの反応」という結果を得ているんだろうな、と思えるところはあって。
『そこそこアクセス(も反応も)があって、ちゃんと諫言もしてくれる読み手も居てくれることに感謝』みたいな。


たぶん、狙って出来るようなことではないのでしょう、届き方も反応も。
だから、ニーズを満たす「場」が用意されているわけでは残念ながらないと思う。
結果論、ということになっちゃうんですよね。


それはとるべきリスクとはいえないんじゃないの?という考えから、ずっと『あんまり無邪気に"ブログする"のはどうかと思うよ』という書き方をしているわけですけれども、「やってみないと分からない」のも事実で。


その場所が「自分にとって」適切だった。
「個性」を心地よく思う人(だけ)にあつまってもらえた。
そういう結果を得られること、そういう気持ちで見られること。

そう思える場を探して、みんなもがくのかもしれません。
・・・え?みんな、じゃないの?
私の居場所はどこですか(2007.08)

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2007.10.06

それは、かつての「ニフ者」のようなもので。

某h社のユーザーが自分たちが「村民」とひとくくりにされるのは心外だとかいうあたりのこと・・・の過去の例として「ニフ者(nif者)」の言葉がなぜか出てこないのは微妙に寂しかったりする件(笑)。「ねらー」は出てくるのに。

そのあたりみんな同根ですよね。外部からの揶揄めいた「不名誉な称号」のニュアンスが感じられて、ゆえに「実態はこれだけ多様なのにそんな見方は幻想だ!」と全力で抗弁したくなるのも。
いや、まぁ、正論だと思いますが。


いまでこそ出自を示すのに便利なので「ニフ者」を自称している私ですが現役当時(?)はそんなレッテル貼られたくなかったし。といって自分自身はそんな言われ方されたことは無かったのですが、そもそもフォーラムの外へ出ることは無かったので。

ただ、「目立つひとたち」のふるまいか何かに共通する(外から見た)違和感がある(あった)のかもしれない、というのは今になって分かる気がします。

私から見たh社は……ソーシャルブックマークサービス国内最大手と認識しておりまして、非会員にもかかわらず何かと恩恵を頂いているわけで、「気になる存在」として特別な目で見ることはあるかなと。

まぁひとくくりにされるユーザーはともかく、そんな言葉ができるだけの「影響力」を持てたということで、運営事業者はニヤニヤしていたりして(笑)。

そういえばSNS国内最大手のm社(のユーザー)へのそういう"称号"って何かポピュラーなものがあるのでしょうか。


※h社とかm社とかぼかした表記の理由→それぞれのIDの下で(2006.07)

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2007.10.05

気づくこと、傷つくこと

ネットでの傷なんて『ほとんどは』大したことないのだけど。……ほとんどは、ね。

novtan別館 - はてな耐性

こういうのに耐えられなければ楽しく使えないのは悲しいけれど、でも僕はみんな否定に対する耐性が低すぎるような気がする。今までの人生で自分が認められないことなんて山ほどあっただろうに、blogは否定され得ないなんて都合のいいことはありえないし。

いやいやいやいや(笑)。
たいていの人にとって"ネットコミュニケーション事始め"というのは友人知人とのメールであって、そこではそんな(はっきりとした)否定をされるようなことってあんまりなかろうと思うのです。
そんなメールのノリそのままの延長線上で公開の"日記"を書いちゃったがゆえの悲劇、というのはわりとよくある話なんじゃないかなぁ、と。
読み手として自分が対象とする相手が、関西弁でいうところの"ツレ"、といっても伝わらんか、まぁ(自分と気の合う)仲間というのか、そういう自分と近いひとたち「だけ」であるように錯覚した、あるいは思い込んだ、という。

犯罪告白を例に出すと言いたい事とニュアンスが狂ってくるような気がしますが、"中の人"の心境としては似たり寄ったりなのではないでしょうか、"ツレ"以外に読まれるなんて想像もしてなかった、という点では。


そうじゃないんだよ、ということ、
ウェブに向かって文字列(とは限らんが)を放つにあたって、
画面の前で待ち構えてんのが自分のツレだけや思たら大間違いやでえ、ということを、

そこがたとえ自分の管理地であっても賛成者以外立入禁止というわけにはいかないもの、ということを、
実体験で気づく。
……時に想定外の量and/or強さの否定反応に傷つくことを伴って。

その傷が、気づきが、どうか「通過儀礼」といえる程度で済みますように、と思います。

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2007.10.01

全国ブログ衛生週間

えー、毎度毎度の改変ネタでございます。
でもちょっと肩の力を抜くことをマジメに考えてみてもいいことかもしれないです。


平成19年度全国ブログ衛生週間

※スローガン:

こころにゆとり からだに余裕 みんなでつくる 健康ブログ

※本スローガンの趣旨:
本スローガンは、近年、過重問答による正義感障害や、炎上等もしくはリンク許諾の要否等によるメンタルヘルス不調などの健康問題が重要な課題となっていることを踏まえて、ユーザーおよび事業者が一丸となって健康に書けるブログの実現を目指すことを表している。先月見た本物のスローガンを改変して、決定された。

※スケジュール:
10月1日~7日:本週間
9月1日~30日:準備月間(準備不足により削除)


ちなみに本物はこちら→厚生労働省:平成19年度全国労働衛生週間実施要綱決定

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