せわしないネットと私
おっと。
「せわしない」で通じるんでしたっけ。これもしかして関西弁?
ニュースを紹介する人のジレンマ - 北の大地から送る物欲日記:
ブログでどこかの記事を参照しながら記事を書いたとしても、その参照元を読んでもらえないってのは、多くの読み手が淡々と個々のエントリを消費するがごとく読んでいるってことなのかなあ、と感じています。ネットの面白いところは、リンクを辿ってどんどんと関連情報を遡っていける部分にあると思うのだけど、そういう人は少数派ぽい。
うん、(今となっては)少数派ぽい(笑)。
前に書いた→いったりきたりで日が暮れて(2006.12)
それと「淡々と消費」は間違いないと思うけれどそもそも「読んで」くれてるのかなと(苦笑)。大半は(一瞬、ぱっとだけ)「見る」「眺める」というニュアンスのほうが近いのだろうなという感覚はあります。
いつからか、↑のごとく積極的に過去ログへの文中リンクを散りばめるようになりましたが、やはりなかなかクリックされるものではないわけで(とはいえついこの前例外が起こったし、やめられないんだなこれが)。
それはともかく。
あらためて「なんで"ねっとさーふぃん"しなくなったのか」を思い返すと、『せわしなくなった』というのが大きいのかなと。
Yahoo!から適当にリンクたどっていって、うわもう30分も繋いどったんか!なんてあわててダイヤルアップ接続を切っていた10年前……と比べるのは極端すぎるにしても、定期的に見て回りたい(というか、見て回らないといけないと思い込んでいる)場所が増えすぎて、それで時間いっぱいいっぱい、どうしてもそっちを優先するからリンクをたどってたどって、という深追いをしなくなった、という。
ほかの「ブログ見て回ってるひとたち」の実情はわかりませんけれども、それぞれが見つけた「自分なりのポータル」から1クリック未満の範囲(引用先のタイトル/引用部分)で止まってしまう、というのは自他共にあるように思いますがどうでしょうか。
それがたとえばニュースサイトであったなら、「自分のサイトをポータルにしてくれてる」という意味では成功かもしれないですし。
……「新しい発見」より「いつも見ているところを見過ごす」ほうが、なんというか、心理的にイヤじゃないですか、なんだかんだ言うてもやっぱりいつものツレとだべってまうし、だべってたら眠たなってもひとり寝てる間に面白い話されてたら悔しいから結局寝られへんねん、みたいな(笑)。
「かつての醍醐味」を復活させようと思ったら、いまの巡回先の"リストラ"が必要になってくると思うんです。ある時期経てばまた溜まってくるから、繰り返し。
上述したような"後ろ髪引かれる思い"をそうそう振り切れるものじゃないから、難しいですけどね。
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