その「場」が「楽しい場」であるための条件
暗黙のルールが共有され、かつストレスなく守られている状態にあること。
今はまだそのルールで自然に行動できるメンバー"だけ"で構成されている状態であり、ただし「賑わい」といえる程度にはメンバーが存在すること。
少なくとも自分の関わる範囲において。
直接には見るのも語りかけるのも気楽にできるTwitter - 北の大地から送る物欲日記を読んだのがきっかけですがあいにくそのサービスは使っていませんし一般論として。
その「場」だから、とか、その「場の仕組み」が良かったから、というのも要因ではあるのでしょうが、
「楽しさ」「居心地の良さ」を感じられたのは『"お約束"が共有されていた期間』だったなあと、過去のいくつかを振り返って思います。
「新しい風」が入ってこないとジリ貧になる(またはブレイクせずに終わる)し、
さりとて新陳代謝とともにどうしても雰囲気は変わってしまうもので、
かつて"お約束"で通じていたことに「論理的な説明」を求められたりして(おまけに論理のぶつかり合いに感情まで絡んできて受け入れてもらえなかったりして)。
「心地よい賑わい」(まぁ、自分にとっての、ですが)はいつまでも続かなくて、たぶん心地よさの"有効期間"も(場を移るごとに)短くなっていって。
「その場」を楽しみながらも、「次」へむけていつもアンテナを張っていないといけないような。
そういうものだ、といえばそれまでなのでしょうが、
まぁ、なんか、切ない──というより、"刹那"い──よねぇ、と。
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