濃い話のある薄い世界で
ブログがどうの、よりはるか以前、パソコン通信の時代から。
「ネットで発信する」手段を手に入れたことで、
ありとあらゆるジャンルにおいて『濃い話』が出来るようになりました。
でも、発信手順がどんどんどんどん手軽になり、人が増えてゆくことで、
『全体的な』方向性とか特徴とか、そういったものは「薄れてゆく」というか、捉えどころがなくなってきました。
これからもっと「ネットで発信する」ことが「普通のこと」になるのなら、
全体としてのベクトルはもっともっと薄まってゆくよりほかありません。
……『意見をまとめてヨノナカを動かそう』ですって?
「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ - GIGAZINE:
現在の日本のブログは現実世界、特に「政治」に対して多大な影響を与えるレベルには到達していません。
薄まりゆくしかないこの世界で、
すべてが娯楽とされて消費されるこの世界で、
まだその方向を夢見ますか。
本当にそういうツールとして使いたかったのであれば。
せめてもっと初期の、『濃かった』時代にいくつも実例を作っておけば。
はるかに濃かったパソコン通信時代ですら成しえなかった『ヨノナカ──政治・社会方面のことですよね──を動かす』などということが、
これだけ薄くなった今、
そしてもっと薄くなるしかない未来に、
起こり得るものか。
……否、あってたまるか。
正直、そう思っています。
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