『ネット』と『生きる糧』との距離
「いんたーねっとのあかうんと」を取ってから、この年末でまる11年になります。
実際にはコミュニケーション目的としての場は長い間(インターネットには出ずに)パソコン通信の中に留まっていましたが、当時から今に至るまで、
「発信すること(および相互コミュニケーション)を、現在もしくは将来の(経済的な意味での)"生きる糧"につなげる」ことを考えませんでした。
……どころか、相当注意深く忌避し続けてきました。余暇娯楽の領分を踏み外してはならないと思い続けてきました。
ということをなぜわざわざ書いたかというと。
梅田望夫・著『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書:2007)を買って、読んだのです。
が、
自分でも驚くほどに心を【動かされなかった】のです。
それでは777円出した自分が悔しい(笑)ですが、でも「まぁそういう考えもあるんだろうね」のひとことを心の中から搾り出すのが精一杯だったのです。
『ウェブ進化論』『~人間論』ではそれなりに考えるところはあったのに。
(一応エビデンス→光と、闇と、「その他大勢」(2006.12))
どうしてだろう?と考えて。
自分の中に「ネットで発信することを、現在もしくは将来の生きる糧につなげる」思いが皆無だから、ということに行き着いたのです。
(ブログに広告を貼るとかいう話ではなくて、書く中身で(生業まではいかなくとも)稼ぎにつなげる発想が、という意味で)
だから、まぁ、「『ネット』と『生きる糧』との距離」が近い/近づけたい層には示唆に富む話なんだろうな、と……
他人事では居られなくなるのでしょうか。否応なく。
距離を近づけた生き方をすれば(それこそひとつ前のエントリに書いたような)傷だ何だというようなことからは遠くなる(そんなことに構うヒマはなくなるだろうからね)のかもしれませんが、別の息苦しさが支配するようになると思うんですよね……。
願わくば距離を離したままで安らかにネット人生を全うせんことを。
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