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2007.11.18

賑わう場にはバトルもあって、バトルもあるから賑わって。

因果のループ。または悪循環。ただし必要悪かも。

なんで文章書くだけなのに、殺すの殺されるの、命のやり取りが出てくるのだろう? - どんなジレンマ

不毛な衝突も繰り返されることで、「こういう文章を書く時には、こういうリスクが生じる」と各ユーザーが経験値をためられるのではないかと、少しだけ期待している。でも、案外熱しやすく冷めやすいから、歴史は繰り返されるかもしれない。パソコン通信時代からのユーザーさんは、「あー、どこかで見たことのある風景」などと思っているかもしれない。思わないかもしれない。

『パソコン通信時代からのユーザー』です。こんばんは。
一応バトルの当事者経験もあります。未だにその(バトった)テーマ周辺の話は読まずにおれません(決して発言はしませんが)。

『どこかで見たことのある風景』、という感想はあります。何百回の繰り返し。
『経験値』は……人によっては蓄積があるかもしれません((火の粉が降ってきたときに)腕まくりするか受け流すかは別として)。
話はそれますが、腕まくりする人、「名うてのバトラー」として名を馳せる人のコミュニケーション経歴をみると、キャリア2~4年くらいのところに分布のピークが来るんじゃないかとか、根拠も何もないですが(^^;。
その先、15年選手とか何人か知っていますが、概して受け流し能力に長けた感があります。
もちろん例外もありますし、単に歳食って丸くなっただけ(笑)だったりして、ネットキャリアとは関係ないかもしれませんが。

それはともかく。
経験値を得たとしても、あくまで当事者「その人」に属するもので、「場」や「仕組み」が何か学習効果を得るかといえばそんなことはないというのが経験的な感想です。
メンバーはうつり変わりますし。去っていった人の声は見えないですし。
それに、「前だけを見てひたすら突き進む」のが"ネットの正義"みたいなところ、あるじゃないですか。

あと、引用元タイトル周辺の話についてほのめかしたつもりの関連→ウェブ時代の憂鬱(2007.11)


誰もが、自分の能力と責任の範囲で好きなことを書き、できるだけ制限を受けず、現実社会での暴力や差別や偏見などを助長せずに済む方法はないものだろうか。blog界隈が成熟して、一つステップアップする上で、避けて通れない問題だと

「集う人」が『成熟して、一つステップアップ』しないと、場だけが成長はしないですよ(^^;。
上で書いたように、人のうつり変わりは続いているわけで。
まぁ、だから、ある意味ひどい言い方ですが、縮小均衡に転じたときにその希望はあるかな、とは思っていますが。

個人的には【ネットではネットのことを/ネットのことはネットで】を大原則にするだけで随分"不幸"は減るだろうと、そうするよりほかはないと思うのですが、みなさん、それじゃダメなんですよね、リアル世間の世事のアレコレも言いたいんですよね……。


ほんとうはバトルを「必要悪」だなんて言いたくはないのですが、傷を負った人に「繁栄に必要な犠牲でした」なんて言えないですからね。
でもねぇ、バトルと賑わいってわりと正比例するのよねぇ……
「たまにはバトルもあるくらいに賑わっている場」ならROMしてても充分楽しめるし、
「平穏なれども閑古鳥」だと、がんばって参加してても・・・
(ホントに真剣な情報交換で成り立っているところは別として、"なんでもあり"のコミュニケーションで成り立っている場は、ですよ)
ジレンマ(苦笑)。

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