ウェブ時代の憂鬱
ブログ(には限定されませんが、"しらないひと"とのネットコミュニケーション)において。
稀に「書いて良かった」思いを経験することはあるかもしれません。
逆に「書かなくて良かった」思いは誰しも経験があるのではないかと。
「書いたがゆえに」不幸に見舞われた例はそこらじゅうにあるでしょう。
しかし、
「書かなかったがゆえに」不幸に見舞われる、ことはありうるでしょうか?
何をどのように書いても誰かが、もしくは、自他ともに傷つくかもしれない、ことを分かっていながら、
それでも止め(られ)ない、というのは。
たとえば3年11ヶ月・これを含めて473ものエントリを残している私など。
他人事や他責のニュアンスではなく、その一構成員として。
"総表現時代"のなんと罪作りなことよ。
それでも「(冒険)しなかった後悔」よりも「した後悔」のほうが尊ばれるべきでしょうか、
「(失敗を恐れて)しなかった」ことより「やって失敗した」ことのほうを誉めよと申されますか、
(成功した)ベンチャー系のひとたちや自己啓発系(笑)のひとたちはそうおっしゃいますが。
自分が傷つくのは「三日坊主になれなかった自分」の因果として。
相手もブロガーであれば「お互い様」の四文字に逃げこむこともできるけれども。
全くのROM、偶然の訪問者だったら……?
答え──というか弁明──は見つからないけど。
少なくとも開き直ることだけはしてはいけない、ような気がします。
だから、やはり、私たちは『反面教師』であるべきなんだ、と思います。
→そなたの画面に映りしは、足抜け叶わぬ我が姿(2006.05)
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