「ネットする」時間には限りがあって。
それが、ながれゆく情報量に対して(たぶん絶望的に)不十分なのが根本的な問題なんだろうな、と思います。
すちゃらかな日常 松岡美樹 あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか?:
ある程度メジャーなもの(SBMやニュースサイトですでに選ばれているもの)しか読まなくなるのでは? という危惧がひとつ。
もうひとつは、これだと「自分にとって本当に読む価値のある記事」を見逃すんじゃないか? というのもある。
ああ、そういえばそんなこと書いたこともあったなぁ、と。
→「誰かのオススメ」からの離陸を(2006.02)
結局離陸しないままの私です。
でもまぁ、そういう「他人の目」に載っているのを見たときには自分のブックマークで巡回したあと、だったりすることも多々あるので、今はもうそれでいいかな、という日々ですが。
それに、「他人の目」を通すのは、異質なものとの出会いというのですか、自分の感性では思いもしなかったような考え方を見つけること(見た結果がいいか悪いかは別として)にもつながりますしね。
それが、(一般に言われるところの)「ネットの魅力」のひとつ、でしょ?
……というか、そちらのほう(異質なもの)にばかり目が向きすぎてしまって、という悩み、かな。
自分の目、いいかえれば価値観とか感性とか人によっては仕事目的とか、に適うものを見つける方が苦労しますしね。
ブログを「ネットに置いた自分の分身」と表現した方が居られましたが、分身といってもいまのところ"そこに在る"だけで動き回ってくれるわけでもなくて。
能動的に動き回ってくれる"自分の目"があればいいのですけれど。
前に書いたんですけどね。
→感性をコピーできたら。【原題:欲しいのは、愛(AI)?】(2007.09)
「ネットする」時間には限りがあって。
"自分に合ったもの"と"異質なもの"、その両方ともを取りこぼさずに拾い上げるなんてもう誰にも無理なほどの情報量になっていて。
それぞれの『「ブログする」ことの目的』に照らして「自分にとって本当に読む価値のある記事」がどちらに多いかを考えて、"自分に合ったもの"と"異質なもの"のどちらを重視するかを絞るしかないんじゃないかなぁ、という気がします。
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