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2007.12.19

まぁ、今よりは「だいじに聴く」ようには、なるかもね。

以下の仮定の前提条件:
「音楽を聴く」という需要そのものは減退しない

これだけあまねく携帯音楽プレーヤーが浸透していますし、「ずっと(何かを)聴いていたい」という需要はそう簡単には減らないのではないかと。


『いままでは(知ってか知らずか"裏ルート"で)廉価でライブラリを増やしてきた』層がどう動くか、の問題として。


1."正当な対価"で入手するようになる。

可能性はあると思います。もう「携帯(略)が手放せない」ひとは少なくないはずで、嗜好品かつ中毒みたいなものでしょう(笑)。例えは悪いですが、「1箱1000円になっても買うヤツは買う」ってのと同じで。

→送り手(のみならず流通に関わるひとたちも)の実入りが増えるならまぁ悪くはないかと。


2.(今までのようには)ライブラリを増やさなくなる。

→送り手の実入りはほぼ現状維持のはず。(もともと実入りが入ってこないから"裏ルート"として問題になっているわけで)

さて、
ライブラリは増えない、でも音楽は浴び続けたい(というか今更やめられない)。
……ということは、一曲一曲の(消費の)ライフサイクルは長くなる。
情緒的な表現に言い換えると、今よりはだいじに聴くようになる

それはそれで、送り手にとっては悪いことじゃないんじゃないの?という気はします。
あくまで想像ですが。


というか。
規制強化で供給を絞る(まぁ、権利者側からすれば裏口を塞いで正常を保つということでしょうけど)ってのは、この2番目の意図が隠されていたりしないのかな、なんて(^^;。
今はあんまりにも消費のサイクルが早すぎると。

ずれた話かもしれませんが、ある世代以上になると、"国民的愛唱歌"という漢字は使わなくとも、世代関係なく「みんなが知っている歌」があった時代へのノスタルジーってのは絶対あるわけですよ、"識者"のみならず庶民感情でも。
今はそういうのがないから、端的に言うと、「紅白」見ても全然分からへんやん、おもろない、みたいな。

ここからは完全に妄想ですけれども、
供給を絞って一曲一曲の"寿命"を延ばせば、あわよくば昔日のような「誰でも知ってる歌」が復活するかも……なんて。
そうなったら歌番組の数字は上がるかもしれないし、とりあえず「紅白」は蘇生するし。


まぁそこまで考えてはいないでしょうけど、そんなシナリオもありかもしれないと、ネットの反応を眺めつつ、つらつら考えたのでした。

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