« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008.01.31

第三段階

(時事の)ニュースを見ない(さして関心がない)ひとたち。
ニュースを見るひとたち。

従前は、この二段階。
いまの(日本の)ネットによって、三段階目がある程度の数として加わった。

ニュースを見たひとたちの感想を見るひとたち

たとえば2ch(のスレッドまとめ)とか、ソーシャルブックマーク(につけられたコメント)とか。


上下とか優劣だとか、そんな見方をしたいわけではないけれど。
ないのだけれど、

『今やニュースをただ見るだけでなく、それを見た"世間"がどういう感想を持ったのか、までを見ることが重要なのだ』

とか何とか理屈をつけて、「2ch(のスレッドまとめ)とか、ソーシャルブックマーク(につけられたコメント)とか」を好んで見る事に説得力を持たせられないかな(特に"リアルの側"の頭の固いひとたちに向けて)、なんてことをふと考えた。

……ダメですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.29

ならば、それが実現できた世界を、あなたが作って見せればよいのです。

妥協の余地もないと断じた相手たちに憎悪の言葉を繰り返すのが目的、でないとするならば。

la_causette: 表面的にであれ問題が解決に一歩進むのであれば、それは無駄ではないし、表面的であることを理由にそれを躊躇すべきではない。
そうであるならば。
実名制とすることによって、『従前のネットワークコミュニケーションが開拓し、培ってきた種々のメリットはそのままに、匿名者によってもたらされる"ネットでの「炎上」という名の嫌がらせに代表されるような災禍"というデメリットのみが除去される』と信じるのならば。

小倉さんがすべきことは、
「自ら妥協の余地がないと断じた相手たちに向かって繰り返し繰り返し挑発的な言辞をもって憎悪の言葉を投げつけること」ではなく、
実際に自らが思い描くところの「実名制ネットコミュニティ」を新たに作り上げること(あるいは既存の実名制コミュニティの拡大でも構いませんが)に主導的役割を果たし、その内部においては、『従前のネットワークコミュニケーションが開拓し、培ってきた種々のメリットはそのままに、匿名者によってもたらされる"ネットでの「炎上」という名の嫌がらせに代表されるような災禍"というデメリットのみが除去された世界』が実現できることを実際に証明してみせること、なのではないのでしょうか?

なにも資金やプログラムまでを自ら手がける必要はないのです。「実現に向けて主導的役割を果た」せばよいのです。

パソコン通信の昔から「言いだしっぺの法則」とよく言われたものです。
ネットワーカーなる言葉が何らの特別な意味を持たなくなり、ケータイの20かそこらのキーでネットする今の時代になっても、たぶんその法則は生きています。
思い描くものがあるなら、実際に作って見せればよいのです。恐らく、ですが、それがこの世界の『正義』なのです

そうやって、もし『(略)デメリットのみが除去された世界』が実現できることが証明されたならば、きっとネットの"空気"は、実名制に雪崩を打って傾いてゆきましょう。
理解しない"愚民ども"に恨みの言葉を並べ立てるのは、万が一その夢破れてからでも遅くはありますまい。


『「今」妥協の余地もないと断じた相手たちに、ただお互いの憎悪を増幅させるだけの言葉を繰り返す』のが小倉さんの目的、でないとするならば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.28

「話をする」ための、きわどくて繊細なバランスを。

「話」がしたいのも「言いっ放し」がしたいのも分け隔てなく存在しているからなぁ。
(一人の中でも時と話題によって両方ある場合もあるけど)

ウェブコミュニケーションのある限界 - novtan別館

直接コメントをつけるときには、「この人とは話ができるだろうか」と言うことを過剰なまでに意識する。ましてやメールするだなんて。

そういった一つ一つの積み重ねを必要とせず、ずばーんと切り込める人、というのもいる。ただ、僕はそういう人は現状のウェブではちょっと怖いなあと思ったりする。

でも現状その「怖いなぁ」というひとのほうが多くなりつつありませんか?
それでなくても「なにかを思ったら、どんどん書いてみよう!」ということが推奨される雰囲気の中で。

数撃ちゃ当たるじゃないですが、そういう姿勢から新しいつながりができる可能性も確かにあるわけで、無下に否定的なニュアンスにすることもないのですけど。

あと、「話ができる」相手だったとして、コメントであれトラックバックの送りあいであれ15往復も20往復も続くのかといえば(皆無ではないにしても)ますありえないですよね。せいぜい2~3往復がいいところで。
パソコン通信なら"Re^30:"や40なんて珍しくもなんともなかったというのに、何故?というのは正直よく分かりませんけれども、「ブログ・コミュニケーションの限界」というものも存在しているように思っています。

結局のところ、似た物どうしだけでつるむのも難しいウェブのコミュニティーの中で、極めてきわどいバランスの中で成り立っている関係があって、そのきわどさは果たしてウェブのコミュニケーションとしてキープしなければならないものなのかどうか、を疑問に感じることがある。

『「話」ができる場』であるためには。
話を続けるためには。
その「極めてきわどいバランス」をむしろ死守しないといけない、と思うのです。
それができるのが『ネットワーク・コミュニケーション』ではなかったのですか?という思いがあるのですけれど……。

なんでもかんでもがフラットに混在しすぎていることの弊害なのか、まぁ程遠い現状ではあります。

……そういう「限界」を日々痛感していながら、それでも書くというのは、反応もしたくなるというのは、少なくない人が他人にも(書くことを)薦めようとしたりするというのは……

だいたいにおいて信仰なんてものは疑いはじめた時点で信仰でなくなるはずなんですが、
なぜかこればっかりはいつまでもかすかな可能性を信じたがるんですよね(苦笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.25

自分に課したルール

ハードボイルドの主人公だとカッコイイのですが(^^;。

自分に課したルールに縛られて動けなかった、もとい、動かなかった。
もしあの頃にルールを少しだけ曲げていたら。

いまのような"ネットとの付き合い方"にはなってなかったかもね、と。

(いまより)明るかったか暗転してたかなんて分かるわけもないのですが、
きっと「いまとは違う、いま」になってたんだろうな、と思います。

だけど、曲げなかった、だからこそこうして今ものんびりと"ブログする"ことができているのかもしれなくて。
……まぁそう信じたいというのもあるけど(^^;

そんなことをあらためてふと思ったのは、
パソコン通信の頃をしんみり思い出させるできごとが起きたので。


たぶん誰にも何かしら自分のルールがあって。
守ったからこそ今がある、
変えたからこそ今がある、
それぞれが抱えてきた、そんなエピソードを読んでみたい気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.19

死んだらどうなる、を調べてみました。

100年残れば歴史遺産でも、1年たなざらしはイヤなものですからねぇ(^^;。

もしも、ブロガーが死んでしまったらブログはどうあるべきなのか?*ホームページを作る人のネタ帳と、言及エントリのいくつかを読んで思ったこと。

ということでいくつかのブログホスティングサービス実施業者のユーザー死亡時の扱いを見てみました。

会員規約:@niftyより引用:

第12条(会員からの解約)

1. 会員は、会員契約を解約する場合は、所定の方法(書面の提出、オンライン上の送信等)にてニフティに届け出るものとします。ニフティは、既に受領した債務の払い戻し等は一切行いません。
2. 会員契約に基づいて@niftyサービスの提供を受ける権利は、一身専属性のものとします。ニフティは当該会員の死亡を知り得た時点を以って、前項届出があったものとして取り扱います。
(3.略)

BIGLOBEサービス会員規約(現行):My BIGLOBE会員サポート
ニフティとほぼ同様の扱い(第12条)。

So-netサービス会員規約
死亡したとき等は『利用資格の全部もしくは一部を停止するまたは失効させることができる』との表現(第5条)。

利用規約 - gooID
livedoor - livedoorIDサービス利用規約
Seesaa サービス規約: 利用規約Seesaa サービス規約: Seesaa ブログ利用規約
規約には(ID所有者が)死亡したときの言及は見つからず。
一定期間の利用履歴なしで(ID登録を)停止することがある旨を準用するのかも。

はてな 利用規約
FC2ID
規約に(利用者からの)解約について言及は見つからず。

どこでも「死んだ(ことを事業者が把握した)らコンテンツも自動で消滅」じゃないの?と思っていたら違うのですね。

ただし、以上すべてにおいて表現は少しずつ異なるものの『第三者への譲渡・貸与・売買等禁止』とは書いてありますので(どこかには相続もできないと書いてあった)、"中の人"が(前任者死亡により)変わることはできなさそうですし、厳密に解釈するとIDとパスを遺して削除してもらう、のも規約違反になりそうですので、後者になるほど(血縁といえども)死後削除すらできずにホスティングサービス終了まで放置、の可能性は高まりそうです。
個人で用意したサーバー/ドメインの場合は"中の人"が交代する事態は十分に考えられそうですが。

……(公正証書)遺言の執行でもダメなんですかね。こういう事態を想定して若年層に遺言作成ブームが、なんて夢想もネタとしては面白いのですが(公証人にとっちゃぁいい迷惑かもしれませんが)。


『ブログ作法(の確立を!)』みたいな議論に対して「いつまでこの仕組みがあると思ってるんだ」なんてことを書いたりもしてきた私自身がもう4年を越しているわけで最近そういう冷笑は控えていますが(苦笑)、でもさすがに今後数十年は無いんじゃないかなぁ、と。
勝手に今のユーザー層を推測してみると、だいたい西暦2030年前後から毎日どこかの『本日を以って会社を定年退職いたしました』なんてエントリがソーシャルブックマークで注目される……ようにはいくらなんでもならないでしょう、と思うのですが、皆さん、自分の、周囲の、そういうエントリ、想像できます?(そんな雇用形態がとっくに絶滅してらぁ、というのはナシで。)

そう考えると、どちらかというと、「こうして書き溜めてきたもの、このままのカタチで、あと何年残せるのかなぁ」、という切なさ(刹那さ)のほうが先に来るようにも思いますがどうでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.15

幻の船──瀬戸内風景(2)

前稿と同じカメラで撮ったとは思えないボケぶりですがご容赦。
揺れる船の上からの遠景には限界が(言い訳)

そんな航路もあったねと(後述)乗ってみたら明らかに普通と違うカタチの船を発見。

双眼鏡で見てみると、

おお!そなたは"幻の船"、スーパーライナーおがさわらではありませんか!
まさか瀬戸内で見るなんて。

側面。

ロゴ。


ちなみに三井造船玉野事業所の岸壁、だそうです(テクノスーパーライナー - Wikipediaによる)
三井造船のサイトには記述見当たらず。事情からすれば当たり前か。

撮った場所:
(岡山県)宇野→(香川県)高松航路の船の上から。
そう、かつての『国鉄宇高連絡船』と同じ航路です。
現在2社がカーフェリーを運航しています。
2社どちらに乗っても(望遠で)見えると思いますが、但し宇野発に限ります(上下で航路が違うため)。


余談。
かつてTSL実験船『希望』に乗りに行ったことがあります。
……機関故障で引き返しやがってねぇ。
高速フェリーは仮の姿、あなたの本分は防災船でしょう、故障してどうするのと(苦笑)。
#その後、リベンジ乗船成功(笑)

航路廃止・船も解体された今となっては思い出話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.14

シュールな光景──瀬戸内風景(1)

ネットなどで居所を聞かれてズバリ答えたくない場合に「瀬戸内のどこか」という表現を便利に使ってきたのですが
いつのまにやら市町村合併で『瀬戸内市』(岡山県)ができていた件。知らんかった……
それはともかく"瀬戸内海地域"の風景いろいろ、不定期に。


陸に上がった潜水艦は日常と隣り合わせ。
愛称『てつのくじら館』(正式名称:海上自衛隊呉史料館)─ 広島県呉市

まともな角度からのショットはインパクトを削ぐので載せない。
……実は撮っていなかったりして(!)。

代わりに日立製作所のサイト(いきなり動画が始まります)にどうぞ。
なぜ日立が?と思ったらどうやらPFIの受託者だそうな。


この撮影ポイントには観光バスがいっぱい停まっています。
なぜかというと、道を挟んで向かいあわせに、
愛称『大和ミュージアム』(正式名称:呉市海事歴史科学館)があるので。
これも写真はインパクトを(以下同文)


ちなみにアクセス:
JR呉駅から続く長~い歩道橋を道なりに進む。以上。
(駅前から循環バスも出ているようです)
海からは呉港の目の前。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.11

娯楽の特権

完成させる必要がないこと。

304 Not Modified: プロトタイプとしてのブログ

良いプロトタイプは、良い評価を得られるのではないでしょうか?

うん、分かった。
……で、一体いつになったら『本生産』に移るんだい?

と反射的に感じて、その方向で皮肉ったなにかを書こうと思って、
……立ち止まった。


飽きるまで。
飽きられるまで。
終わりまで。
そう、最後まで試作品(評価版)だけを延々と出し続けることができるのが趣味娯楽でやっているものの特権なんだと。
『本生産』を考える必要なんてどこにもないのでした。


ブログの読み書き、に限らず、"ネット生活"を。
趣味娯楽としてやっているのか、現在又は未来の活動や生業につなげる目的なのか。
自分がどちらであるのかをあらためて考え直すときのひとつのヒントになるかもしれません。


つまり、裏返せば、
"業"につなげる目的なら、その試作から本生産に至るスケジュールを立てておかないといけませんぜ旦那、といえるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.08

インプットは「お菓子ぱくぱく」。さてアウトプットは何に例えよう?

アウトプットを特段意識しない程度にまで"日常"に組み込んでしまえ、というようなアジテーション(は言い過ぎか)について。

アウトプットが現在もしくは将来の"生業"として、の方々は、それはもう一生懸命に邁進下さいませ。
そうじゃない、(ネットの)読み書きってのはあくまで娯楽メイン、という(それが大多数であるはずの)層へ。


ブログを書き続けるには、ということに対して、それが特段意識しない程度にまで日常に組み込まれる──つまり、がんばらなくても済むようになるまでがんばろう、なんてアジテーション(は言い過ぎか)があったりします。
「朝起きて顔を洗う/歯を磨くように」とか、「食事するように」とか、そんな例え方をされて。

ちょっと待ってほしい、と思うのですね。
そんな例えは誤解を招くのでは、と。

食事は生命の維持に必須なもので。
歯を磨くのは生命の維持に必須ではないけど少なくとも健康の維持には必要なもので。
顔を洗うのは生命の維持に必須ではないし健康の維持に必要かどうかも知見はないけど少なくとも現代日本の社会生活の維持には重要なもので。

ネットの読み書き、とくに何かをアウトプットする、というのは、そんな生命や健康や社会生活の維持に必要なものではない、はずですよね(娯楽メインである限りにおいて)。同列に例えちゃいけないでしょう。
だいいち食事はインプットだし。(←そういう問題じゃない)


いっぱい巡回を増やして、いろんなサービスに入って、貪欲にインプットする、ってのは、例えていえば「"ご飯"そっちのけで"お菓子"をぱくぱくむさぼる」ようなものだと思うのです。

お菓子、ってのはあくまでご飯にプラスアルファの存在であって。
適量に抑えないといけない、ましてやご飯そっちのけなんていうのは論外で。

もちろん現実のお菓子の場合の作り手/送り手は多くの場合"生業として"真剣であり必死であり一生懸命でありましょう。
ですからこの例えも作り手/送り手にとっては不愉快かもしれないですが、
受け手(消費者)が"それをメインに摂取する"のはまず間違いなく「悪いこと」であって。

さて、同じように。
アウトプットは何に例えればよいでしょう?
排泄?違う。
それは生きている限り不可欠なもの。そんな自然なものじゃない。

生命や健康や社会生活の維持に必要でもないのに、ついついがんばらなくても済むようになるまでがんばりがちなものごと。
"ブログする"って、そういうことですよね。

書くことなんて、
意識してがんばるくらいでいいんですよ。
意識してがんばるくらいがいいんですよ。
そう、思います。
その程度に抑えきゃいけないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.04

「嫌なら見るな」とはいかなくても、「嫌なものを見ないで済む」には。


ほかにも批判禁止だとか悪意の訪問禁止だとかそんなのも含めて。
そうすることの是非だの損得だのはとりあえず論外として、ですが。

「人が」それを読む前に"人工知能"が事前チェックで『その人にとっての不快なもの』と相手先の文章なり文体なりの解析結果とを照合して判断して、不可視化するような、そんなものがあれば。

→関連:感性をコピーできたら。【原題:欲しいのは、愛(AI)?】(2007.09)

で、そういうシステムを導入して、その機能をオンにしている人だけ閲覧可能にすれば「~禁止」も可能?かも。


そんなしくみ、考えているひと、いなのでしょうか。
ほら、日本のネットにはほめることが少ない、とか嘆いている人がいるようなあの会社とか(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »