そのときに にんげんだから できること
『無駄』をすること、じゃないかな。
「考える事」の大切さ。「表現する事」の大切さ。 - 煩悩是道場:
大抵の事は天才的な速度で思考し、進化をし続ける人工知能が最適な回答を導き出してくれる世の中にあって、知的生命体たる私たちは「何」を思考すれば良いのだろう。
たとえば、「その時/その場を過ごすための無駄話」を。
生産性を問われるようなことをすべて人工知能に奪われてしまったなら、
生産性を問われないことに全力を傾ける(というのもおかしな表現ですが)ほかないかもしれません。
それが、人間に、むしろ、人間だから出来ること。
そうなった未来にこそ、誰に憚ることなく無駄ななにか──たとえば、現在ブログでがちゃがちゃやっているような──をすることが出来るときが来るような気がします。
#今はそうじゃないから、「ノイズ増やすな」という意見にも一理あったりするわけですけれど(笑)
「"それぞれにとっては、ただその時/その場を過ごすための"無駄」が、但し(今のブログのように)記録されるとして。
その無限の無駄の中から新たなる生産的な組み合わせを(人工知能が)見つけてくれたりしたら、最高に愉快かもしれません。
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