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2008.03.31

【化学】王水に金を溶かす動画

先日寝つけなくてTVをザッピングしていたらNHK教育の高校講座「化学」で。
なんで深夜時間帯にしているのかはともかく。
"金属のイオン化傾向"だったか、種々の金属の反応性の実験。

金属ナトリウム(の小片)を水に放り込むのはやったことあります。
卑金属を塩酸に溶かすくらいならそんなの中学でもします。
しかし……

金を王水に溶かす実験は見たことなかった!

これ、さすが潤沢な……と感動した私ですが(苦笑)、
実際に学校で実験を実施しているところってどの程度あるんでしょうか。
え?うちの育ちが貧しいだけ?(泣


番組内ではシャーレの中の金箔に濃硝酸をかけたあとでその上から濃塩酸をかけていましたが……そんなんでいいのか(笑)


ネットに動画がないかと探していたら発見。

直接リンクできませんのでお手数ですが

独立行政法人科学技術振興機構:理科ねっとわーく 一般公開版下部の[キーワード検索]に「王水」と入れてみてください


#実はYouTubeにも同じものがあるのですがおそらく著作権に問題がありそうなので……

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2008.03.27

ハッピー・ジワジワ?

トラックバック受領しました。お返事感謝です。
受動的な変化と成長 - ここにいるだれか
そちらにコメントできる資格を持っておりませんので、エントリにて。

性格が変わらなかったというくだりを読んで想像したのは、
毎回毎回『「"知らないけど知っている"かつ"知っているのに知らない"ひと」との出会い』にものすごいドキドキを感じているんだろうな、と。
ほほえましいようでもあり、よく(プレッシャーに)耐えられるな、という驚嘆でもあり。
闘いや勝ち負けでないことは承知した上で、それでも「ご武運を!」と声を掛けたくなるような。


今の私が持っている世界は人が広げてくれた世界。だからきっと、無意識のうちに私はいろいろと変えられていると思う。(中略)おもしろおかしく私は変化/成長、させられてきたのかもしれない。

なるほどなぁ……
じわじわと影響されて、ということですか。

結果的に、といってしまえば身も蓋もないですし、いや、そうじゃなくて本当は気持ちの持ちようなのでしょうけれども、ご自身でもその変化をハッピーなものとして受け容れておられるように見えるのはほんとうに羨ましく思います。


"Happy Landing!"なんて表現があったりするのですが、
願わくば最後までハッピーでありますことを。

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2008.03.26

【ココログ】あの頃が夢幻のように

毎度おなじみ(?)の長時間メンテナンスがあったココログですが。

レスポンス問題がピークに達したのはもう2年近く前のことになるのですね。
当時を伝える資料→【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログ

もう年の単位でスムーズに利用できるようになった今となっては、あの頃がまるで夢幻だったかのようです。

運用技術の蓄積もあるでしょう、新技術もあるでしょう、機器の性能向上もあるでしょう。
そしてチューニングの継続も。(参考→お知らせココログ: メンテナンス情報 バックナンバー

『「何事も起こらない」ために全力を尽くす』方々へ、スムーズに利用できている今だからこそ、改めて敬意と感謝を。

ちょっと関連→普段、一顧だにされない存在に(2006.04)


事情で総投稿数の推測は止めましたが、上昇カーブはどうあれ、未だエントリが増え続けていることは間違いないわけで。

何事も変化が起こらない、起こさないために、おそらく"泥臭い"と形容されるであろう地道な運用に日々従事されておられる"中の人"は、
一日当たり何万という駄文(失礼!)を生み出し続ける書き手に、それを読む人たちに、そしてそれらが続いた結果としての社会に、
何を望んでおられるのでしょうか、
彼ら/彼女たちがどう変わってゆけば『管理者冥利に尽きる』のだろうかと、

そんなことをふと思いました。

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2008.03.20

コミュニティとは、「流儀」のことかもしれない。

ルールというほど決まったものではないけれど、雰囲気というほど漠然としていないもの。
人が作ったもの。でも、場に帰属するかもしれないもの。

304 Not Modified: あなたにとってコミュニティとは何ですか?

ウェブコミュニティは場所なのでしょうか、人なのでしょうか、それとも別の何かなのでしょうか。

あたらしいコミュニティができます。
"初期メンバー"が集まります。
あるところにはローカルルールがあったりしますが、ルールにない部分での「場の雰囲気」は彼ら/彼女らによって徐々につくられてゆきます。
少し熟成が進むと、「場の流儀」というのか、暗黙の同意事項のようなものができてきます。
まだ新規流入が少ないうちは、その「流儀」を心地よく感じる人だけが居つくようになります。
かくして、人は移ろえども、「流儀」はコミュニティの特色となります。

そして流入が増えてくると「流儀」は乱され、「最近の新参者は……」という愚痴が古参から聞こえてきます。
また衰退期には「流儀を知らない者を冷たくあしらった」反省と「それでも居心地は守りたい」思いの葛藤が生まれます。

そんな経験、ありますよね?

ちょっと関連→個性の実力-「理想のコミュニティ」改題(2006.03)

居心地というのは(元をただせば)人が作ったもの。
でも、「場の居心地」というように、(最終的には)場に帰属するかもしれないもの。


トラックバック撃ち込みついでに、オフの話にも。

理想を言わせてもらうとネットの話題で盛り上がりたいなーってときにふらりと“どこかの場所”にさえ行けば、ネット好きな人がだらだらと集まって語り合えるようなところが存在したら最高だと思うんですよ。(中略)そこまで場所に拘らなくても、気軽に集まれるメンバーとちょくちょくネットの話題さえできれば何一つ問題無いんですけどね。

ネット(で色々した)話の続きなら、画面の中に留まってもいいじゃないですか。

いや、まぁ、それでもわざわざ(時間と空間に制限ができる)リアルに出ようとする気持ちも分かりますけれど、全体公開はできない話もありましょうし、あるいはただ『「初対面なのにお互い馴染んでる」という不思議体験』をしてみたい、というのもありましょうから。


前稿で書きかけてやめたのを今回トラックバックついでに尋ねてみるのですが、

オフを重ねることで大きく変わった(変わってしまった)ものごとや考えは何ですか、
また何度重ねても変わらなかった(変えられなかった)のは何ですか。

……いや、「楽しさ」とか「期待感」とかはいいんです、想像の範囲内ですし、だから続けていられるのでしょうし。

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2008.03.19

【今日のトリビア】フランスペット by フランスベッド

モニタの文字で展開するにはものすごく不向きなネタではありますが。


職場から特許電子図書館の商標検索を使っていて……まぁちょっと脱線しまして(笑)。

『フランスペット』(モニタの文字では分かりにくいですが、[pet])というのがあったんです。
権利者は『フランスベッド株式会社』。いわずと知れた有名寝具メーカーですね。

最初は類似商法対策の防護かなと思ったのですが、きっちりしたロゴまで登録してるし(商標登録番号:第4759029号,第4776508号他)、単なる防護にしちゃ手が込んでるな、と思ったら……!!

本当に『フランスベッド』製のペット(愛玩動物)向けベッド(BED)の名称のようです。びっくり。

なぜかフランスベッド株式会社サイトの商品ラインナップには載っていないので現在も生産しているのかは不明ですが、
ぐぐってみたら通販サイトがいっぱい出てきますので、たぶん今もあるのでしょう(^^;。


以上、本日の小ネタのコーナーでした。


トリビアついで→正式略称:トラ退治法(2005.03)

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2008.03.18

そのときに にんげんだから できること

『無駄』をすること、じゃないかな。

「考える事」の大切さ。「表現する事」の大切さ。 - 煩悩是道場

大抵の事は天才的な速度で思考し、進化をし続ける人工知能が最適な回答を導き出してくれる世の中にあって、知的生命体たる私たちは「何」を思考すれば良いのだろう。

たとえば、「その時/その場を過ごすための無駄話」を。

生産性を問われるようなことをすべて人工知能に奪われてしまったなら、
生産性を問われないことに全力を傾ける(というのもおかしな表現ですが)ほかないかもしれません。
それが、人間に、むしろ、人間だから出来ること。

そうなった未来にこそ、誰に憚ることなく無駄ななにか──たとえば、現在ブログでがちゃがちゃやっているような──をすることが出来るときが来るような気がします。
#今はそうじゃないから、「ノイズ増やすな」という意見にも一理あったりするわけですけれど(笑)


「"それぞれにとっては、ただその時/その場を過ごすための"無駄」が、但し(今のブログのように)記録されるとして。
その無限の無駄の中から新たなる生産的な組み合わせを(人工知能が)見つけてくれたりしたら、最高に愉快かもしれません。

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2008.03.16

画面の枠の中にとどまることを、私は「純粋」と呼びたい。

オフるのが前提で人脈作りだの出会いだのの目的でネットで何か書いてる言うんやったら、お前ら『不純ネット交遊』ちゃうんか!
……ああ、怒らないでね、半分冗談だから(笑)

まぁ、このあたりは「ブログすることそのものが目的」であることを純粋と捉えるような私ならではの感性かもしれませんが。

でもね。
10年も前から『Networkの匿"顔"性』と書いてきて、(リアルの)属性からの自由が、こういう場でコミュニケーションすることの最大の特徴かつ特長だと信じていますから、
"画面の中の相手"の年恰好だの性別だのその他もろもろを知ってしまったら、何がネットワークコミュニケーションか、という思いは強い私です。

実際、"中の人"の属性にはほとんど興味がない(し、持たれたくもない)んですね。
前に書いたけど→興味(の有無)の衝突(2007.01)
もちろん継続して読んでいたり、あるいはやりとりがあったりすると折に触れて書いてあるのを「見てしまう」ことはあるわけですが、だからといって読むのを止めてしまうわけでもなく、まぁ適当に話をあわせるくらいのことはしますし、家庭の出来事とか地域の風習とか(仕事に就いておられれば)業界裏話とかはトリビアand/or野次馬として面白く読みますけれども……


ただ、今となって思うことはあって。
ネット歴10年以上だけどオフ会に行ったことがなかったのは何故か考えてみた - 空気を読まない中杜カズサ

今思えば勿体なかったかなあという気もします。ネット上の印象というのは正直、かなり現実とは違う場合もあると考えています。それを埋めるため、実際に会ってみるという経験を積極的にしなかったことを。おそらくそれをしていれば、また違った印象でネットを見ることが出来たでしょうから。

これは正直思うんですけどね。「随分ネットとの付き合い方が変わっていただろうな」というのは。
変わり方が良かったか悪かったかは分かりませんが。
実は自分の「オフらない」スタンスが念頭にあったエントリ→自分に課したルール(2008.01)


304 Not Modified: ネット歴10年以上だけどオフ会ばかり行っているのは何故か考えてみた

おそらくそのメンバーで会えることに“次回”はありません。

これはなぁ……

そのコミュニティの場が(自分がアクティブでいられる期間に比べれば)"永遠"だと思っていたあの頃・・・(遠い目)


2000年の春に7000円近く掛けて五十枚作った「オフ用名刺」。

もう使えないそれが、まだ手元に四十数枚残っています。
(※写りこんでいるキーホルダーには意味はありませんので念のため)

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2008.03.15

「雑談あってのつながり」と思うと、たしかに辛い仕組みですね。

ブログはコミュニケーションに向かない - こころの風景

もう少し限定して言うと、雑談には向かない

あの掲示板文化から生まれた「横レス失礼」を使うのに躊躇してしまうのだ。AさんのコメントにBさんが答えて話題が広がったり、CさんのコメントをDさんが茶化したりEさんが混ぜっ返して笑いの渦が起きたりというようなコメント応酬の面白さも味わえない。

そうそう!
主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)より再掲:

こういうワイワイガヤガヤはなかなか出せないですね。どうしても「エントリの内容に沿った」コメントになりますから。

だからといって殺伐とするわけでもないしノイスがどうのという観点では"効率的"でいいのですが、
雑談なくして(継続的な)つながりは生まれにくい。論客同士とか真面目一徹な方面ならいざしらず。

"気が合うひと"とのおしゃべりを楽しむ、ことにネットワークコミュニケーションの楽しみを感じるなら、雑談なくしてどうして相手を得られましょうか、と。

よく言われる、「エントリ単位でしか読まれない/つながらない」問題(それ自体はいい悪い両方ありますが)にもつながる話ですけれども。

もちろん、なんでもかんでもをブログの仕組みの上でする必要は無いのですが、とはいえ別の何かに誘導できるかといえば実際問題うまくいかないことがほとんどのようで……

"気の合いそうなひと"という時点で、おしゃべりを続けられるようにうまくつなげられれば、もう少しコミュニケーションの満足度も上げられるような気はするのですが(そういう志向であれば、ですが)、うーん。

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2008.03.14

「取り込んだ」なら、変化はあると思うよ。

たぶん、急激ではない(から気付きにくい)だけで。

MORI LOG ACADEMY: 入力ばかりだと

今までいろいろなものに興味を示し、それをつぎつぎ試してみたけれど、もうどれをやっても同じに思えてしまって、

(中略)
たぶん、いろいろ試してみた、というのは「受けた」だけなのでは、と想像する。観たり、聴いたり、読んだり、と自分の中に取り込むこと、すなわち「入力」を試したにすぎない。

『「入力」を試した』だけではなくて、どっぷりと浸かる、というのか、"本当に"自分の中に取り込んだなら、何らかの変化は起こっているのではないかな、と。
じわじわと、ね。

結局のところ、景色がパッと切り替わる──もちろん、自分にとって良い方向に──ような刺激というか、急激な変化を望むから「何をしてもつまらない」というような感想になるんじゃないかな、なんて思います。
そんな、ちょっと「表面をなでてみた」だけで、人生ガラッと変わってしまうような"危ない"もの、そこらへんに転がってたら困りますって(笑)。
インスタントな成果ばっかり求めるんじゃない!


じっくり「入力」だけを続けてみればいいんですよ、まずは。
それで、いつのまにか変わって(しまって)いるものですよ、何かはね。
それに気付いたなら、面白くなるかもしれませんよ、いわゆる「ROM」だけでもね。

「出力」はそれからでもいいんじゃない?

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2008.03.06

型から入るのも一法、型を楽しむのも一興。

いいじゃないですか、「それ自身を目的とする」というのは、ピュアで。

サイトは自身の中かわ湧き上がる何かが抑えきれずに漏れ出て来たもの - 最終防衛ライン2

サイトってのは、自身のアウトプットの発露であり、自身の中から湧き上がる何かが抑えきれずに漏れてきたものだと思うのです。(中略)それ故に、サイトを作りたいけど内容が思い浮かびません。。。 などという質問は考えられない。サイトってのは何かをしたいから開設するのであって、サイトを作ることが目的なのは愚の骨頂。

そうかな?

ブログを始めた(始めたい)理由が「ブログしてみたいから」、というのは決してレアケースではないと勝手に思っているのですが。
十年と少し前の「パソコンブーム」「(第一次)インターネットブーム」がそうであったように。

大抵は三日坊主で放り投げてしまうだろうし、まして(繰り返し書いてきましたが)今のこの時代にあまり無邪気に飛び込むのはどうかとは思いますけれども、
そうやってまず"型から入る"ことで、そこに何かを見つけることだってあるかもしれないわけで、("型から入る"ことそれ自体を)そう強い調子で非難することもないかなという気もするのです。型から入ってもダメだった前稿みたいな例もありますがね(どっちやねん)。
(まぁ、個人的には発信のリスクについて充分脅しを効かせたいですが、それは別問題で。)

「ブログするのが目的」から(運よく)「○○の目的のためにブログする」に移行できればそれで良し。
そうでなくても……

「ブログすること」自体に価値を見出したのであれば。楽しめるのであれば。
それはむしろ"純粋さ"としてもっと評価されてもいいのではないでしょうか?

『「食べるために飛ぶ」のではなく「飛ぶことそれ自体」を愛する』かもめのジョナサンのように。といったら美化しすぎか(笑)。


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2008.03.05

デジカメの持ち腐れ:記憶と記録について。

フィルムカメラは持っていませんでした。

生まれてこのかた「撮る」習慣のなかったものが、カメラ持ったからってパシャパシャ撮るようになるはずもなく。

"身だしなみ"的な焦燥感に抗えず(笑)買ったのが約1年半前。
……連写機能の練習で使ったものを含めてさえ、撮影枚数3桁に届いたかどうか。

デジカメの持ち腐れ。
ブログ用に頑張ってみたりはするけれども。


たとえばたいていの観光客が撮るような景色があったとして。
いままでだいたい記憶に収めてきたし実際そこそこ憶えているもので。
というより……

実際に見た風景(と感情)と、「記録としての写真」とはどうしてもズレがあって。
見たままそっくりを転写できるはずもなく。"腕"かもしれないけれど。

そう思うと、記憶と記録ではある意味記録のほうが「嘘」になってしまうような。
見返してもなにかどこかに違和感があるというか、抜けがあるというか、うまく表現できませんが……




その時感じたこと、思ったこと、そのままの感情を全部文字に写し込めるわけもなくて。
「そういう意味じゃないのよ~」とか、「反応して欲しかったのはそこじゃないんだけど(^^;」とかいうのも含めて、読み返すと「なんか文字にするとズレてしまうのよね」という思いに似て、と書けば少しは分かっていただけるでしょうか(苦笑)。

それでも、記録より記憶、なんていうのは、自分のブログを自分は見ないと書いたりするような私ならではの感情、なのかもしれませんが。

(自身にとっての)過去ログの効用、といった辺りのエントリを読んだりして、つらつらと。

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