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2008.03.16

画面の枠の中にとどまることを、私は「純粋」と呼びたい。

オフるのが前提で人脈作りだの出会いだのの目的でネットで何か書いてる言うんやったら、お前ら『不純ネット交遊』ちゃうんか!
……ああ、怒らないでね、半分冗談だから(笑)

まぁ、このあたりは「ブログすることそのものが目的」であることを純粋と捉えるような私ならではの感性かもしれませんが。

でもね。
10年も前から『Networkの匿"顔"性』と書いてきて、(リアルの)属性からの自由が、こういう場でコミュニケーションすることの最大の特徴かつ特長だと信じていますから、
"画面の中の相手"の年恰好だの性別だのその他もろもろを知ってしまったら、何がネットワークコミュニケーションか、という思いは強い私です。

実際、"中の人"の属性にはほとんど興味がない(し、持たれたくもない)んですね。
前に書いたけど→興味(の有無)の衝突(2007.01)
もちろん継続して読んでいたり、あるいはやりとりがあったりすると折に触れて書いてあるのを「見てしまう」ことはあるわけですが、だからといって読むのを止めてしまうわけでもなく、まぁ適当に話をあわせるくらいのことはしますし、家庭の出来事とか地域の風習とか(仕事に就いておられれば)業界裏話とかはトリビアand/or野次馬として面白く読みますけれども……


ただ、今となって思うことはあって。
ネット歴10年以上だけどオフ会に行ったことがなかったのは何故か考えてみた - 空気を読まない中杜カズサ

今思えば勿体なかったかなあという気もします。ネット上の印象というのは正直、かなり現実とは違う場合もあると考えています。それを埋めるため、実際に会ってみるという経験を積極的にしなかったことを。おそらくそれをしていれば、また違った印象でネットを見ることが出来たでしょうから。

これは正直思うんですけどね。「随分ネットとの付き合い方が変わっていただろうな」というのは。
変わり方が良かったか悪かったかは分かりませんが。
実は自分の「オフらない」スタンスが念頭にあったエントリ→自分に課したルール(2008.01)


304 Not Modified: ネット歴10年以上だけどオフ会ばかり行っているのは何故か考えてみた

おそらくそのメンバーで会えることに“次回”はありません。

これはなぁ……

そのコミュニティの場が(自分がアクティブでいられる期間に比べれば)"永遠"だと思っていたあの頃・・・(遠い目)


2000年の春に7000円近く掛けて五十枚作った「オフ用名刺」。

もう使えないそれが、まだ手元に四十数枚残っています。
(※写りこんでいるキーホルダーには意味はありませんので念のため)

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