後ろ向きの解決が、現実解だと思うので。
これは……
もっとロガーが多く立ち上がって欲しいし、もっとナイーブに読まれるブロガーを守らなくてはいけない。
(中略)ブロガーというものの言論の位置みたいのを裾野から押し上げていくほうがいい。
耐性を備えることができない人はコメントやめろ論は、梅田さんが言っているメリットを殺す。それはもったいないよ。
で、じゃ、コメント開くならマッチョたれ、とか、ダンコーガイとか越権さんとかの議論は、ブログ文化を後ろ向きにしていくだけですよ。
おお、なんと!
常々finalventさんが「ブログなんてゴミ」と書いておられたのはツンデレの発露であった、という私の見立てが合っていたようで嬉しく思います。
以上で終わってしまっては引用の範囲を超えますので。
正直なところ、"後ろ向き"の解決でいいと思いますし、現実解としてはそれしかないのではないでしょうか。
烈しい反応への覚悟もないのに無配慮にセンシティブな話をするのはますいでしょ、というのは理屈としておかしいわけではないはずですし、もっと言うと、『「ブログする」こと』自体の敷居をもう一度上げる方向にどうにかもっていくのが不幸の再生産を防ぐ一番の方法ではないのでしょうか(将来への希望ではなく、現実の対処として)。
現実は、それこそ梅田さんが書いているように"圧倒的多数は玉石の石として淘汰され無いと同じ扱いになる"わけでしょう、ナイーブであろうとなかろうと読まれない(どころか見られすらしない)のが大多数じゃないですか、それじゃROMでいるのと[実質的に]変わらないですよね。
んで、たまーに来たと思えば心無い反応だったりするわけで。
そこを踏まえていて、それでもどういうわけか『ナイーブな人and/or話題は「ブログしない」という選択』を提示から外すのは、現実的な視点からするとなんだかなぁ、と思うのが正直な感想です。
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