レベルと多様性は並立しない。さあ、どっちを取る?
レベル、というのは「方向性」とか「濃さ」と言い換えてもいいかもしれません。できればあまり「貴賎」のニュアンスにはとっていただきたくないかも。……自沈しますから(^^;
コミュニケーションの場に、敷居、といいますか、なんらかの制限を課せば、レベルは上がります。
(まぁ、それが議論のレベルか喧嘩のレベルかはたまた馴れ合いのレベルなのかは、それぞれでしょうけれど)
多少は"ノイズ"が除去されますが、裏返せば多様性が損なわれます。
無制限、なんでもあり、にしてしまえば、多様性は確保されますが方向性は定まらなくなるのでレベルは上がりませんし濃くもなりません。それに(個々人にとっての)ノイスは多くなります。
つまりレベルと多様性は並立しません。
匿名の/ネガティブな反応を排除したいという要求と、そんな制限を(全体に)課すことへの反発と。
前者はたぶん、(ネットコミュニケーションに)"レベル向上"を求めていて、後者は"多様性が(ネットの)命"と考えているのではなかろうかと、あちこち見ていて思います。
単に『求めているものの違い』の確認であって、どちらがいい悪いということを論じたいわけではないのですが。
ネットってじつは、ゴミ箱を志向したほうがいいんじゃないか。
多様性を優先するならそれでいいと思うのですが、(主に"レベル重視"派に)それで傷ついたり見過ごせないデメリットが出てきてしまっているのが現実なのではないかと。
ですから、レベルと多様性は並立しないだけではなく、同じフィールドに共生することもできなくなっていると考えるのです。
どちらか一つしか選べないのです。
"多様性"派には残念なことだと思うのですが、
棲み分けということ、もういちど考えましょうよ。
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