誰宛か、って聞かれたら、やはり「誰か」宛でありたいんです。
自分自身が第一、にはなれない。どうしても。
まぁ、だから、ストレスばかり溜まるんですけどね……
『斬(ZAN)』 「自分が書きたい=自分が読みたい」でありたい:
「自分が書きたい」だけじゃなくって、そこには「自分が読みたい」が最初から含まれたうえで書いている。そこに意味がある。
うーん。
何かしら「考え」を書くのだとしたら、文章としては疑問形だったりはしますけれど、だけど、自分の中では(ある程度)結論が出た上でのものなんじゃないかと。
だから、「自分は」もう読まなくてもいいんです。自分にとっては書き上げるまでの段階で考えた話だから。
じゃぁ誰に向けているのか、というと、自分のコピー(好ましくは、ミニコピー)という仮想の相手だったりするのですけれど、それはあくまで"他人"であって自分自身ではないんですね。
まぁ、だから。
そんな、ありもしない「誰か」を想定して、「誰か」からの(好ましくは好意的な)反応を唯一のモチベーションにしているから。
反応、どころか読まれも、どころか見られすらしない現実に、もはや怨念と表現できるまでの(笑)未練を募らせるばかりの日々で。
過去エントリへのリンク置きまくったりしてね、そもそもアクセス自体がろくに無いというのにね……
そりゃあ、一年前、二年前に書いたことまで憶えているのは自分以外いないけれど。
それでも、自分自身が第一、にはなれない。どうしても。
「誰か」宛でありたいんです。自分ではない、誰か。
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