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2008.08.05

受け継がれる儀礼、引き継がれない議論。

その昔、(無機質な"フォント"で描かれる)メールなのに、「乱文乱筆お許しください」って書いてあった、という笑い話がありましてですね……


さて。
こどものもうそうblog | 管理人様、不適切でしたら削除願います

mixiのコミュとかに、「管理人様、不適切でしたら削除願います」とか書いて、書き込みする人がいるけど、あれは何だろう? 馬鹿だろう。

うわぁ、と思った。
2008年になって(もまだ)こういうことが書かれて、しかもそれが注目されている、ということに。


私もかつて、そんな意味のことを書いたことがあったと思いますねぇ。
『「自分としては」適切だと判断したが、管理人の基準で不適切ならその判断には異議を唱えませんよ』という心情だったかと。

……パソコン通信の全盛期、そして間違いなく前世紀のこと。

そして当時も、引用元のような感想を述べる人は居ました。
だから自分は書くのを止めた、わけではなくて、いちいちそう宣言せずとも管理人に対しては"As you wish,Your Highness"(御意のままに)という姿勢以外にありえないと考えるに至った為ですがそれはともかく。

その前置きに続く本文の性質にもよるでしょうけど、

「不適切なら削除願います」の戦術 - novtan別館

字面だけ見るとバカの表明に見えてしまうようなコミュニケーションってのは日本では良くあること。(中略)自分を卑下することで相手を立てるという日本的美徳感覚の為せるものでしょう。

ということなんじゃないかなぁ?と思いますよ。

だから。
人は移り変わり、場も変わるけど、それをどこかで見かけた誰かが"日本文化"として受け継いで行く。
人は移り変わり、場も変わるから、その是非に対する議論は引き継がれないまま。

10年前に見た話が今も繰り返されているのならきっと10年後も同じ話でモメているのでしょう、
「今のままのWeb」が続いていることはたぶんありえないとしても、進化したはずの何かで。

たぶんほかのこと──無断リンク禁止とか──だってぜんぶ同じなんじゃないかという気がした。


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