安住の地に落ち着けたなら、それは喜ばしいことにございます。
「心地のよい巡回」で"お腹いっぱい"になれるなら、それ以上の何を求める必要がありましょう?
Geekなぺーじ : Webは何故こんなに広くて狭いんだろう:
インターネットを狭く感じさせているのは自分自身という事実にあらためて愕然とする
『いつもの場所』で『いつもの顔ぶれ』を見ることができる、それは「安住の地に落ち着けた」と、むしろ喜ばしく考えることだと思うんですね。
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賛否や書き方の巧拙や丁寧か暴言かとかそういうものとは別の次元で、なんというか、"波長"が合わないこと、って個々人それぞれにあるじゃないですか。
いいこと書いてるはずなんだけどどうも合わないことも、書き方も意見もまったく賛成できないけれどなんか読みたくなる、ってことも。
業務上の要請か何かでそれでもあらゆる視点の意見を読まなくちゃならない、というような動機付けでもなければ、そんなの無理とに読もうとしたって続きませんって。
今はまだ抽出技術も完全ではないからして、「心地よいもの」ばかりを選んだつもりでも何がしかは「異質なもの」も混ざって目の前に出てくるでしょう、"視野を広げる"という目的にはそれで充分だと思います。
満足して落ち着くのは死んだようなもの、というのが暗黙の前提になっているような業界なり思想なりがあるのかどうかは存じませんが、そうでなければ、すくなくとも趣味娯楽の領域での「ネットする」ということであるなら。
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