石橋を叩いて渡るのも渡らないのも
自分が叩いてみた結果としての『自分の判断』に自信があるからこそ、ですよね。
うらやましい限りにございます。
……私?
それが草の蔓編んだ橋なのか鉄橋なのかというのはあまり問題ではなくて。
いの一番には渡れないし渡らない。
「渡れたひとの割合」と「渡れなかったひとたちの末路」を見て、(渡れない)リスクが許容限度内でありそうなら足を踏み出す、といったところ。
30人くらい見てさっさと渡る(かどうか決める)のか、1万人の統計を取ってからにするのかは「向こう岸に待つモノゴト」によりますが。
こういう性根を一言で何と表現すればよいのか分かりませんけれども。
パソ通のときは結構"待った"かな。始める前から雑誌記事や(あのころいっぱいあった)関連書籍を好んで読んでいたし。
ブログはさっさと始めてしまった。何が待っているのかも(あるいは何も無いのかも)知らないまま。
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