ほとんど何も起こらないのだけど。
まれに「人生を変えてしまう何か」が起こってしまうからタチが悪い(笑)。
何かを起こしたい。でも怖い。うまくいかないんじゃないか。でも行かねば何もかわらない。そういうジレンマとか葛藤があっていい。ただ、そういうときに前に出てしまうきっかけがあればいい、ちょっとした気持ちの動きで前に出れる瞬間があればいい。そして、そのちょっとの動きでも事態が動き出すところに自分をおけばいい。そう思うのです。
ものすごく引き込まれそうになる文章だった。あぶないあぶない(^^;。
……というのは、その「ギリギリの淵」で、「踏み出さない」ことに価値を感じる私だから。
→画面の枠の中にとどまることを、私は「純粋」と呼びたい。(2008.03)
まぁ、過去にオフったこともあるし、それで何もかわらなかったからこその今でもあるのですが。
引用のような葛藤というのは、ネットコミュニケーションを始めるときにも持っていたのではないかと思います。
そこをわたしたちは踏み出してしまった。
で、
踏み越えた先で。
ブログ続けていれば、書いたことの内の1%でも、あるいはアクセスの中の1%にでも伝われば御の字なんだということを実感するのではないかと思います。
関連→あほやなぁ、って思うでしょ?(2008.10)
裏返せば、「一歩踏み出した」だけでは、そうそう「何かが変わる」ような事態が起こるわけじゃない、ほとんど何も起こらないことも実感している(はず)。
それはたとえば、
逡巡に逡巡を重ねて、
だれかにトラックバック撃ち込むのだって、
あるいはオフるのだって、
きっと同じことで。
『「踏み出すまでのドキドキ」に見合うだけの結果』なんて、たぶんそうそう得られるものじゃない。
ほとんど何も起こらないから。
「だからそんなに気負わず気軽に」
「だから無理するほどの意味もない」
話の続け方はどちらでもいけるのですけど、
どちらにせよ過度な期待を持つと肩透かしを食らう類のものではあるかもしれません。
……だけどまれに人生の転機になってしまったりするのが魅力であり恐怖でもあるんですね。
それがプラスかマイナスか結果が返ってくるまで分からないという。
ほとんど何も起こらないことを実感しながら、しかしそういう『「ギリギリの淵」でのギャンブル』に身を委ねてんねんなぁ(たとえ画面の中に留まっていても)、ということをあらためて認識したのでした。
そういえば関連→冒険者?(2008.06)
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