場が違っても、「人」なんですよ?
コミュニケーションする相手を加える/除くにあたっての"重さ"のこと。
開始当初からヘビーに使ってきた先駆者が異口同音に書くわけですよ、「Twitterではfollowもremoveも気軽にしていい(というか、気にしちゃいけないお約束)」と。
なんでなんで?
たとえばSNSでのともだち関係(mixiでいうところのマイミク)の加除とTwitterでの加除に"重さ"の違いがあっていいという(むしろ積極的に軽重差を作っているように感じますが)のはなぜ?
自分にだってそういう(気楽に加除する)"空気"をTwitterに感じないわけではないですよ(但しそれは(日本の)"アーリーアダプター"が自分たちで作り上げた"暗黙の了解"を繰り返し書かれたから自分もそう思ってしまっているだけのことかもしれないけど)、しかし。
「画面の向こうには人がいる」というのは、あなたがただってよくお書きになるフレーズですよね?
だったら。
「人」を基準として考えるなら。
その(コミュニケーションの)場が何であるかは枝葉の話であって。
「場」を理由に相手を重く扱ったり軽く扱ったりするのはどうなの?と考えるんですよ。
"関係"に加えるときには。
そして除外するときにはもっともっと。
それなりの"覚悟"といえばさすがに大仰に過ぎますが、ともかくなにがしかの"重さ"をもった理由をもってそうすべきではないのでしょうか、と思うのです。
「場」が何であれ。
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