拒絶はしないにしても、成長や生産的であることを「ネットする」目的にはしないかな。
そやかてうちら、浮世(=憂き世)から離れるために来てんやんか、こっちの世界までそんな概念で覆うの堪忍してほしいわ、というのが本音。
ネット上は二極化しがちだけど、あなたはどちらに向かいたい? - 北の大地から送る物欲日記:
そもそも本人が成長したがってるかどうか?という根本的なところもあり、ネットをストレス発散の憂さ晴らしの場として捉えている人はそもそも成長は望むべくも無い。
えらい言われようですが(苦笑)。
リテラシーを身につけて"自分を磨く"、自己啓発だとか切磋琢磨だとか。
そこから発展して生業を得るだとか。
そういう目的のひとが少なくはないという存在自体は理解しているし拒絶するわけじゃない。
関連→質問 : ブログを読み書きするのって、 : アバウトミー : @nifty
また、そういったひとたちにとってのほほんと過ごしているわたしたちがノイズになってしまっているであろうこともまた理解だけはしているつもりなのですが。
だけど、だけどなんですよ。
何度も書いていますが、こういうところでがちゃがちゃやるのって圧倒的(とはいわないまでも)多数にとっては「あくまで趣味娯楽の領域」のこと、じゃないんですか?
そこをちゃんと踏まえて欲しかったりはするのです。
こんなところでまで「勤勉」や「目的意識」にとらわれにゃならんのか(まぁリテラシーはともかくとして)。
"こちら側"からすれば、ブログに限らずネットワークコミュニケーションを生産性とか投資効率とかいった類の概念で考えたり評価したりするのは頼むから止めてほしいと言いたくなるのです。
そんな概念からは対極にあることをやってるんですよ。だからこそ楽しいんじゃないですか。頼むからそんな概念で覆うなんてやめてほしいんですよ。
だから、ね。
切磋琢磨とのほほんが、オープンにフラットに、まったくわけ隔てなく混じりあってるから揉めるんでしょ、むしろ積極的に棲み分けたらどうよ、って書いているのですが。
「仕事のネット」と「趣味のネット」(2007.01)
敷居と質の高低について、そして「どこから発信すべきか」ということについて。(2007.07)
現実世界へのメリットや有益有能が前提なら、それ専用の場でするのが効率的だと思うよ、という図示。(2007.08)
無制限に「オープンで」「フラットで」あることの妥当性を再検証すべきだと思いませんか?(2008.05)
そこはあんまり同意してもらえなかったのね。
……どうすればいいのさ?
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