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2009.01.30

なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?

日本(語圏)において。
ソーシャルブックマーク(以下SBM)に関する議論(というかもめごと)は、いつもいつもそのブックマークに付随している「コメント」に関する議論(というかもめごと)であるような気がするのですが。

なんで?
原初の意図からすれば、おかしいとは思わないのでしょうか?

SBMというのはタグ付けによるフォークソノミー──分別ある分別──の一形態という出自をもつのではなかったのでしょうか?
そうであるならば、なぜ(タグ付けではなく)ブックマークコメントばかりが議論のメインになっているのでしょう?

出自からいえばあくまでタグが「主」であり、コメントは(あってもなくてもいい)「従」の存在であるはずでは?
なぜ寄ってたかってSBMのコメントを「主」と扱ってその内容やあり方ばかりを議論していますか、いわんやコメントによってコミュニケーションするなど。

客観的に見ていると不思議でしょうがないんですがねぇ。。。

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2009.01.22

(・e・) the survivor

ひよこまーく。
唐突に思い出した。

……ということは「忘れていた」ということ。


たぶん初出はこれ:(・e・) (ひらがなぶろぐ)(2003.12.30)

もう5年前か……

さすがに今は、と思ってたわむれに検索してみたら:
ひよこまーく - Google ブログ検索
なんとなんと、歴史の彼方にならずに立派に生き残ってる!


あの頃あった「ブログというもの」それ自体への妙な熱気がすっかり消え失せても、残るものは残っている。
サバイバーですねぇ、とちょっと感傷的に。

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2009.01.18

協業を期待しつつも、一話完結せざるを得ないというか。

同意1割、残りは羨望やら嫉妬やら流行語とは逆の意味での「あなたとは違うんです」というのが入り混じった気分。。。

blogのエントリで独創性発揮しなくてもいいんじゃないかなぁ。そもそもblogやWEBに公開した文章って、書き手だけで完成させるものではないのではないかなぁ。 - どんなジレンマ

結果としてツッコミを受けることはあるはずです。blogにはコメント欄もトラックバックもあるし、はてなブックマークなどのSBMもあるし、他のメディアからリンク貼られることもあるでしょう。

正直な感想を言います。
なんでそれを前提にできるかなぁ?と思うのです。

(協業による洗練、みたいな意味で有効な)それらのフィードバックを受けられるのは、
日々何千何万とネットに流され続ける文章の、いったい何%ですか。
いやパーセントなんてもんじゃない、ppmオーダーじゃないんですか。

何度も何度も何度も繰り返しますけれども。
圧倒的多数は、反応はおろか、読まれも、どころか見られすらしないわけで。

(つっこまれるの前提で)論理に穴をあけてみたり、
タイトルや末尾の締めを問いかけ口調にしてみたり。

……反応されないでごらんよ。


読まれてナンボだと思っています。もちろん反応されることへの期待も含みます。
だから、自分でもまだまだ認めたくはないのですけど、
現実には自己満足で終わるしかないのがほとんどになってしまうじゃないですか、結果的には。
それを思うと(自分のためだとすると)、画面に向きあい得る時間と資源のかぎりには、考えて、調べて、一話完結にするというか「完成度を高める」のは望ましいことなのではないかなという気がします。そういう方向に行くしかないというか。


「未完成で公開する」というのは言及されたりして洗練されてゆくのが前提にあるわけですよね?
それは、そんなものは、一定程度には恒常的に反応をもらえる地位を勝ち得た、「上のほう」に許された特権、だとは言えないでしょうか?
だから、そこをあまねく、というか一般化して語られると、なんというか、語彙が貧弱でごめんなさい、「驕り」のようなものを感じてしまったのが正直なところです。

わたしだって期待はしますし、もちろん過去に培ってきたものがあってこその「上のほう」であるわけで、彼ら彼女たちに羨望以外の心情をもつのは良くないことではあるのでしょうが……

「圧倒的多数」の「現実」ではそうはならないですよ、ということを。
CollectiveIntelligence(集合知)というURLに対して、lone(孤立した/独りぼっちの)というURLに乗せて、この文章を送ります。

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2009.01.16

【今日のトリビア】カラフルな恋人たち

羽田にて。
保安検査抜けたところの売店でふと目にしたのが

『赤い恋人』

博多明太子入りのこんにゃくだそうで(買わなかったので画像はありませんが)。
そして商品名には登録商標を示す ® が。

"(色名の)恋人"という食品(まぁ、おみやげ品ですね)というと『白い恋人』(北海道・石屋製菓)が真っ先に思い浮かぶのですが、
「赤い~」ってのがよく取れたね(類似で蹴られなかったね)と。


ということで調べてみたらまぁ出てくる出てくる、カラフルな恋人たちが(笑)。

以下、食品関連と思われるもののみ紹介。

特許電子図書館 - 初心者向け検索の「商標を検索する」で『恋人』をキーワードとしました。したがって一部または全部がカナあるいはかな表記のものがこれ以外にあるかもしれません。》


白い恋人:石屋製菓株式会社(北海道)が権利者
さまざまな食品分類・産業分類で登録されているようですが、
飲料系は森永乳業株式会社が権利者、ほかの産業分類では他社登録のものもありました。
商品ラインナップに実在するのか防護目的なのかまでは見ていませんが、ほかに
『純白の恋人』『白い恋人達』『白い恋人同志』『白い恋人の涙』『私の白い恋人』
というのが石屋製菓の登録となっていました。

褐色の恋人:名古屋製酪株式会社(愛知県)が権利者
"スジャータ"のサブタイトル(というのか?)。これも有名でしたね。

みどりの恋人:茶およびその関連については東京都茶問屋協同組合が権利者/野菜・果実およびその関連についてはあいち中央農業協同組合が権利者

小麦色の恋人:マイアミ製菓有限会社(神奈川県)が権利者
会社(お店?)のサイト(現在は株式会社?)は見つかったものの商品ラインナップには見つからず。

黄色い恋人達:株式会社ときめいく(北海道)が権利者
中華めんのようです。

水色の恋人:株式会社鮎家(滋賀県)が権利者
ソフトクリームのようです。

赤い恋人:有限会社秋山食品(現在は株式会社?)が権利者
首記のものですね。
ほかに野菜・果実およびその関連ついては下野農業協同組合(栃木県)が権利者

白銀の恋人:ミホロ物産株式会社(北海道)が権利者
検索では商品見つからず。

青い恋人:個人名(福岡県)で登録されていました
検索では商品見つからず。

黒い恋人:あさひかわ農業協同組合(北海道)
豆類のようです。

沖縄の黒い恋人:株式会社大平堂(沖縄県)が権利者
沖縄黒糖を使った菓子のようです。


いやぁ、文字通り(笑)「色々」あるものなんですね!

なお食品に該当しないものでは他の色も。
あと「薔薇」とか「ラベンダー」とか色名ともとれるものもありましたがとりあえず割愛。

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2009.01.15

ブラウザ比率もだけど、検索サイト比率もね……

Firefoxというか、「非IE」だと思いますが。

Firefox率が高いサイト=おっさん臭いサイト

10代はわざわざFirefoxなんてインストールしないし、小学生や幼稚園児はFirefoxを知らない。
30代、40代の主婦、というか女性一般はFirefoxなんてインストールしないし、高齢者もインストールしない。

じゃあ、残ったのは誰って、ほとんどがおじさん。

うははは。
ということでここの昨年の結果を見てみたら、

全体の約半分がInternetExplorer、
残りの約半分がFirefox、
残りのそのまた約半分がSleipnir、
あとはSafariとかOperaとかRobot/Tool(←ちなみに全体の約5%を占める)とか、といったものでして。


それよりもですね、世間に比してこれは異常かも?と思ったのがですね、、、

ここのたどりつくのに使った検索サイトで。
Googleがなんと7割超、
Yahoo!が約2割、
残がその他、となってまして、もう……(苦笑)


……ま、おっさん、というか、ブログなんかの「不特定の相手とのネットコミュニケーション」をする層がそういう年代/性別に多いことの表れということなのかもしれませんけど。

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2009.01.13

他人と自分の未来に地雷を投げないこと

ということなのでしょうけど、これ、なかなか難しいことですよねぇ。

304 Not Modified: ブログに何を書かないか

その判断は難しいところではあるけれど、書くべきでないと判断したものは絶対に書かないし、口外すべきでないと判断したものは絶対に口外しない。

「~べきでないこと」の基準というものが、人によって違うのはもちろん、時間の経過によっても変わることがあるから。
未来は見えないから、(過去の)何が命取りになるかももちろんわからない。

関連→畏れよ、未来を(2006.03)

……ということはですね、「ブログする」ってことは、自ら撒いた地雷原を歩くようなものでもあるわけで、そのスリルを楽しんでる部分もあったりしません?(苦笑)
というのが「難しい」と思うことのもうひとつの理由。

最初は書かないと決めていてもある程度ブログを続けているとネタが無くなって書いてしまったり、まわりも書いているから自分も…と敷居を下げてしまいがちになる。
うわあ痛い痛い痛い。


で、その中でせめて他人の未来に、好ましくは自分の未来にも地雷を投げないように、というのであれば、たぶん他人のリアルに踏み込まないこと、ネットではネットのことを/ネットのことはネットで、ということに尽きるんじゃないかなぁ、とは思いますがどうでしょう。

まぁ、ほとんど何も起こらないのだけど。


最近のウェブサービスはアウトプットまでの敷居を低くすることで盛り上がらせるサービスが多いので
ですね、って、いやいやいや(苦笑)。

そこはユーザーサイドで「思いついたらどんどん書いてみよう!」って煽ってきた側も全員同罪じゃないんですか?というのは言い過ぎですか。

さぁ、あなたも「慎重派」に宗旨替えを。

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2009.01.09

「伝わるかもしれない1%」を、希望といえるなら。

たぶん99%伝わらない。伝わっていない。
その絶望を乗り越えるか。
あるいはそれを考えない"強さ"を持つか。
せめてなんとか折り合いをつけるか。

その上で。
「なんとか書いたことの1%くらいは、あるいはアクセスの1%くらいには伝わるかもしれない」、それを「希望」と思えるなら、
そしてその1%を倍に、3倍にすることにわくわくできるなら、

("ネットに住む"ことができるかぎり)書き続けることができるのかもしれません。

ブログ。伝えたいと思うそこからはじまるんじゃないかな。 - かみんぐあうとっ を読んで思ったこと。


伝えたいと思うほど易々と伝わりはしないじゃないですか。
そりゃそうですよね、画面の向こうは自分の常識も前提もほとんど共有しないであろう相手なんだから。
だからどうしても絶望が先に来ると思うんですね、それに耐えられるひとはそう多くないと思う。伝えたい気持ちが先走るほど、あるいは強いほど。
この絶望は書き始めて体感してはじめて分かる類のものではないでしょうか。


伝わるなんて、書いたことの、あるいはアクセスのまぁ1%くらいか。
絶望して分かるこのことに希望を見出せるなら、
あるいはたとえば50を51にするより1を2にするほうが簡単じゃん、なんてポジティブに考えられるなら、

あとはずっと続けてゆけるような気がしますがどうでしょうか?


……私?
なんとか自分の中で折り合いはついてきたかなと思わなくもないですが、まだまだしんどいです(苦笑)。
元日からどこぞのクローラーというんですか、巡回ロボットのアクセスに半分以上を占められたりしますとですね、もう……


さて、私は1%と書きましたが。
皆様は。
書いたことの何%くらいは、あるいはアクセスの何%くらいに伝わっていると考えておられますか?

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2009.01.08

ブログ炎上事例、減った?


そんな気がするのですが観測範囲が狭くなっただけでしょうか?

まぁ、有名人(主に芸能関係かな)ではいまでもときたま起こっているようですが、
一般ピープルというのか、前から注目されていたわけでもないのに1エントリで突然コメントが数百(以上)の単位でやってきて焼け落ちた、みたいなの、2,3年前はそこそこ頻発してたような気が。


……いや、そうだとしたら道徳的にいえば喜ばしいことではあるんですけどね。

急にリテラシーが上がったとも思えなくて。

新規参入が減ったか。
バトルウォッチじゃないですが、アンテナ感度高くてかつ言いふらす(笑)ひとが減ったか。

トラブルの多寡と場の活気を正相関で見てしまうので、あるいは終わりの始まりか、とも思ってしまったり。


そうではないとしても。

この世界、ことコミュニケーションに関してはなかなか過去の事件簿から学ぶことがない(ように思う)のでですね、
「分かりやすい他山の石」は、なんというか、定期的に供給され続けるほうがよいのかも、と(苦笑)。

……不幸にも当事者になられた(ことのある)みなさまにはひどい言い方ではありますが。。。

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2009.01.04

そう、確かにネットは「おかしな文化」ですね。

おかしなひとたちがおかしなことをしてる。

ネットで赤の他人になれなれしくするのはもうやめよう(はてな匿名ダイアリー):

普段の日常生活で外出中に周囲に他人がいる状況で会話することはあるが、だからといって割り込まれたりはされないし、逆に自分がそういう人を見かけて何か突っ込みたくなったとしても割り込んだりはしない。

面識のない人にいきなり話しかけたり、ましてや罵倒するなど正気の沙汰じゃないということは民族人種に関係なく誰でもわかる。

民族人種、あと国籍はどうあれ、「日本文化」のなかではそうかもしれませんね。

だけど。
『普段の日常生活』で『会話』する、というのは明確に相手が存在していますね。
でも、ネットで何か書く、というのはそうじゃないですよね?
虚空に文字列を放っているのだから。

『普段の日常生活』で、そんなこと、しますか?

自分の今年の抱負はこういうおかしなネット文化を終わらせること。
そう、ネット文化は確かに「おかしい」。

でもね。
「ここでは全員がそうしている」からついつい忘れてしまいがちなのですが。

そもそも、私や、あなたや、他の皆がこうして"虚空に文字列を放つ"ことが、(少なくとも)「日本文化」のなかで、どれだけ変わり者規格外な行いであるかということに、もうすこし自覚的でありませんか。

『普段の日常生活』を基準にすれば、おかしなひとたちがおかしなことをしてる。
そりゃ、おかしな文化にもなります。そうでしょう?


はじめから相手が居るわけじゃない。
反応があって、はじめて『会話』の『相手』になる。

……おかしいですね。
でも、それが、それこそが、ネットワーク・コミュニケーションじゃないんですか?
今までも、これからも。

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