協業を期待しつつも、一話完結せざるを得ないというか。
同意1割、残りは羨望やら嫉妬やら流行語とは逆の意味での「あなたとは違うんです」というのが入り混じった気分。。。
blogのエントリで独創性発揮しなくてもいいんじゃないかなぁ。そもそもblogやWEBに公開した文章って、書き手だけで完成させるものではないのではないかなぁ。 - どんなジレンマ:
結果としてツッコミを受けることはあるはずです。blogにはコメント欄もトラックバックもあるし、はてなブックマークなどのSBMもあるし、他のメディアからリンク貼られることもあるでしょう。
正直な感想を言います。
なんでそれを前提にできるかなぁ?と思うのです。
(協業による洗練、みたいな意味で有効な)それらのフィードバックを受けられるのは、
日々何千何万とネットに流され続ける文章の、いったい何%ですか。
いやパーセントなんてもんじゃない、ppmオーダーじゃないんですか。
何度も何度も何度も繰り返しますけれども。
圧倒的多数は、反応はおろか、読まれも、どころか見られすらしないわけで。
(つっこまれるの前提で)論理に穴をあけてみたり、
タイトルや末尾の締めを問いかけ口調にしてみたり。
……反応されないでごらんよ。
読まれてナンボだと思っています。もちろん反応されることへの期待も含みます。
だから、自分でもまだまだ認めたくはないのですけど、
現実には自己満足で終わるしかないのがほとんどになってしまうじゃないですか、結果的には。
それを思うと(自分のためだとすると)、画面に向きあい得る時間と資源のかぎりには、考えて、調べて、一話完結にするというか「完成度を高める」のは望ましいことなのではないかなという気がします。そういう方向に行くしかないというか。
「未完成で公開する」というのは言及されたりして洗練されてゆくのが前提にあるわけですよね?
それは、そんなものは、一定程度には恒常的に反応をもらえる地位を勝ち得た、「上のほう」に許された特権、だとは言えないでしょうか?
だから、そこをあまねく、というか一般化して語られると、なんというか、語彙が貧弱でごめんなさい、「驕り」のようなものを感じてしまったのが正直なところです。
わたしだって期待はしますし、もちろん過去に培ってきたものがあってこその「上のほう」であるわけで、彼ら彼女たちに羨望以外の心情をもつのは良くないことではあるのでしょうが……
「圧倒的多数」の「現実」ではそうはならないですよ、ということを。
CollectiveIntelligence(集合知)というURLに対して、lone(孤立した/独りぼっちの)というURLに乗せて、この文章を送ります。
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