なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?
日本(語圏)において。
ソーシャルブックマーク(以下SBM)に関する議論(というかもめごと)は、いつもいつもそのブックマークに付随している「コメント」に関する議論(というかもめごと)であるような気がするのですが。
なんで?
原初の意図からすれば、おかしいとは思わないのでしょうか?
SBMというのはタグ付けによるフォークソノミー──分別ある分別──の一形態という出自をもつのではなかったのでしょうか?
そうであるならば、なぜ(タグ付けではなく)ブックマークコメントばかりが議論のメインになっているのでしょう?
出自からいえばあくまでタグが「主」であり、コメントは(あってもなくてもいい)「従」の存在であるはずでは?
なぜ寄ってたかってSBMのコメントを「主」と扱ってその内容やあり方ばかりを議論していますか、いわんやコメントによってコミュニケーションするなど。
客観的に見ていると不思議でしょうがないんですがねぇ。。。
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