いちばん伝えたいことは、いつ放つのがいいのだろう。
ケータイのCメールとやらで自分史上初の架空請求を受け取ってなぜかニヤニヤしてしまったTristarです、こんばんは。
「世間で話題の」ものごとがやっと届いたことで「自分も世間並」になれた気分、といいますか。
これも一つの『承認欲求』なのでしょうか、まぁ犯罪者に承認されても仕方ないのですが。
さて、その『承認欲求』つながり(!)の本題。
書き散らす、といえば表現は悪いですが、気負いもなにもないエントリもあります。
だけど、これは書いて世に放ったからにはとにかく読まれたい、というものもあったりします。
いちばん伝えたいこと。
それを放ったのが「読者を得るキッカケ」になったと思われるブログ(等)はよくあるけれど、あまりに不確実。
"こういう系統の話にはノってくれそうな"読者を一定数得られたと思ったときに出すのがいいのか。でもそれまでの道程は、たぶんあまりに遠くて。
「コツコツと」続けて。
幸いにも自分なりの「手ごたえ」が得られた頃には、実はほんとうに伝えたかったことは遥か過去ログの彼方に埋もれて……というひと、案外多いんじゃないかと思っています。
いちばん伝えたいことは、いつ放つのがいいのだろう。
ブログならまだしも、もっと流れの速い、たとえばTwitterとかで、たまにそういうことを考えたりします。
整った『フォント』で表示される文字列に、それを書いたひとの思いまでは載らない、載せられないのはもう充分に実感してはいても、これをスルーされるとちょっと精神衛生上よくないのよね、という文章があったりするのです。
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