ソロプレイの悲哀、と表現しましょうか。
前稿にトラックバックいただきました。
さらりと(私にとって)一番厳しいことをおっしゃる……
ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): ブログなんてものは:
きっと、個人メディアたるブログは孤独がベースだからなのでしょう。ブログは、本質的にはコミュニティ指向ではないような気がします。
ええ、孤独だという呪詛をまき散らし続けて5年余り、充分すぎるほどに実感いたしてはおりますがですね、納得はいたしたくないのでございます……
言及元で個人メディアという言葉が出ましたが。
言われるところの覚悟や責任というのは、これだけの敷居の低さ(そして、サービス業者・ユーザーが"共犯"で低くしようと躍起になってきたこと)と背反するのではないかと思います。
せいぜい身内宛ての身辺報告気分が公開できてしまう、そしてされてしまうこと。
自分を別扱いするわけではありませんが、ここまで広がって本当によかったのかなと今でも思っています。
さて、私も言及元とは違う話になってしまうわけですが、
「個人メディア」であることが(私にとっての)悲哀の根本原因なんだろうなと、改めて。
個人で伍してゆくことになりますからね。孤独にもなろうってもんです。
何度も書いているように、まず淘汰されるわけで。
ほとんど怠惰の結果とはいえ、場が消えた今もサイドバーの一番上でフォーラムへの郷愁を隠さない私です。
主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)に図示を置いてあるのですが、
まず『場』があって。そこでまぁ円卓でも車座でもいいですが、個人が集まって、という、
『場の力』で私でもコミュニケーションすることができた、というのが根元としてありますから。
このブログのサブタイトル、単にコンコルドが引退しちゃった、ってだけじゃないんです。
そういう、『場で、みんなで』というのも過去のものになっちゃったね、という嘆息をね、掛けてあるんです。
ブログ、それこそ「個人メディア」が脚光を浴びた時ですからね、ココログの始まりは。
そりゃぁね、(ブログ向きの)個性の実力があった人たちには良かったのでしょうけどね、"護送船団・結果平等"でなんとか生きてきた私には、ね……。
力もないままにソロプレイで生きてゆかざるを得ない悲哀、といいますか。
どうしても私からはそういう表現になってしまうから。
そのことを表現を変えつつだらだら綴ってきたし、そうしてゆくんだろうと思っています。
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