『ミヂカリスマ』という言葉を知って。
それは「なろうと思ってなる(なれる)」ような類のものなんだろうか。
あるいは「我こそは」と自己適合性を宣言して意味のある類のものなんだろうか。
ブログ検索で見てみると2007年辺りの言葉のようですが。
Yahoo!辞書 - ミヂカリスマ
雲の上じゃない、手の届きそうな"カリスマ"。
……という言葉を知って。
今更になって、「ああ、梅田さんが相手にしているのは、こういうひとたちなのね」と、すっと腑に落ちたのでした。
総表現社会参加者層(中略)──梅田望夫『ウェブ時代をゆく』:ちくま新書(筑摩書房):2007年
中学や高校時代のことを思い出すと、五十人のクラスに少なくとも五人や十人は「これはたいしたものだ」という人たちがいた。誰でもこうした知人を、何人も思い浮かべることができるはずである。親戚の法事に行けば、皆を納得させるようなおじさんがいる。
ああ、こういうひとたちが『群集の叡智』を創っていく、ってことね。
なるほどね。
……雲の上じゃない、手の届きそうではあるけれど、しかし自分ではないことには違いのないあのひとたち。
頭のてっぺんから足先までコピーしても、
あるいは話題を真似ても文体を真似ても並ぶことができないあのひとたち。
そんな思考回路になるんですけれども。
わたしはネット、少なくともネットコミュニケーションを現在もしくは将来の生きる糧につなげる思いが皆無ですし、(享楽的な意味で)純粋に楽しむことを至上のこととして考えますから、もともとその列に並ぼうとは思わないですし(遠吠え成分が無いとは言わないけどね)、
またそれゆえわたし(たち)のような"下の層"は少々シリアスなことを書いたところで石として淘汰されるより他ないんだよということを書き続けているわけですけれども、
そういう"ひとつ上の層"にあこがれたとして、
それは「なろうと思ってなる(なれる)」ような類のものなんだろうか?
あるいは「我こそは」と自己適合性を宣言して意味のある類のものなんだろうか?
……なんか違うと思うんですよね...
先天的にどうこう、というつもりもないのですけれど、
だからあのひとたちはあのひとたちで「図らずも背負わされた」苦悩みたいなものもあったりするのかなと、まぁ関係ないことですけどね(苦笑)
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