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2009.03.29

もったいない、と思わない?

電脳世界でスローライフをさけんでも詮無いのかもしれませんけど。

『思いついたことをどんどん書こう!』ということ。
10分かそこらでばーっと書いてさっさとアップロードしてしまうこと。

巡回していると、そこそこの共感を集めている考えのようなのですが。


もったいない、と思わない?
たとえ無形のものとはいえ、大量生産・大量消費はどうなの?と……

まぁ、一発ギャグとか、旬の話題に乗り遅れるな、ということはあるだろうけれど、
納期に迫られる(笑)わけでもないんだし。

大量のログに押し流されていくのは、もったいないというか、誰のためにもならないような気がするのです。なんとなく。

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2009.03.27

『ミヂカリスマ』という言葉を知って。

それは「なろうと思ってなる(なれる)」ような類のものなんだろうか。
あるいは「我こそは」と自己適合性を宣言して意味のある類のものなんだろうか。


ブログ検索で見てみると2007年辺りの言葉のようですが。

Yahoo!辞書 - ミヂカリスマ
雲の上じゃない、手の届きそうな"カリスマ"。

……という言葉を知って。

今更になって、「ああ、梅田さんが相手にしているのは、こういうひとたちなのね」と、すっと腑に落ちたのでした。

総表現社会参加者層(中略)
中学や高校時代のことを思い出すと、五十人のクラスに少なくとも五人や十人は「これはたいしたものだ」という人たちがいた。誰でもこうした知人を、何人も思い浮かべることができるはずである。親戚の法事に行けば、皆を納得させるようなおじさんがいる。
──梅田望夫『ウェブ時代をゆく』:ちくま新書(筑摩書房):2007年


ああ、こういうひとたちが『群集の叡智』を創っていく、ってことね。
なるほどね。

……雲の上じゃない、手の届きそうではあるけれど、しかし自分ではないことには違いのないあのひとたち。
頭のてっぺんから足先までコピーしても、
あるいは話題を真似ても文体を真似ても並ぶことができないあのひとたち。

そんな思考回路になるんですけれども。


わたしはネット、少なくともネットコミュニケーションを現在もしくは将来の生きる糧につなげる思いが皆無ですし、(享楽的な意味で)純粋に楽しむことを至上のこととして考えますから、もともとその列に並ぼうとは思わないですし(遠吠え成分が無いとは言わないけどね)、
またそれゆえわたし(たち)のような"下の層"は少々シリアスなことを書いたところで石として淘汰されるより他ないんだよということを書き続けているわけですけれども、

そういう"ひとつ上の層"にあこがれたとして、
それは「なろうと思ってなる(なれる)」ような類のものなんだろうか?
あるいは「我こそは」と自己適合性を宣言して意味のある類のものなんだろうか?
……なんか違うと思うんですよね...

先天的にどうこう、というつもりもないのですけれど、
だからあのひとたちはあのひとたちで「図らずも背負わされた」苦悩みたいなものもあったりするのかなと、まぁ関係ないことですけどね(苦笑)



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2009.03.19

ブログって、未練の塊だと思う。

ポジティブなだけの話を読む度に冷笑を送りたくなるのはもはや"芸風"といえど嘘ではない本音の感情なんですけれども、一方で完全に絶望しきれない部分もあるがゆえに恥ずかしながら続けている私です。

ですから、
ブログといさぎよさ。 - かみんぐあうとっ

書いたものをいさぎよく公開する。

んー、なんか真逆の想いがあるんですよね。

(時間かけて書いた)予定稿を「いさぎよく」削除するとか、
それこそブログを「いさぎよく」削除するとか、
『いさぎよさ』というとそういうイメージがあったりします。


「ブログし続ける」こと、
(似たような繰り言を)書き続けること。

自分にとっては、(理想の反応を得られなかった)未練が原動力になっていて、結局また未練を再生産している、そんな気がします。
未練の塊。



ひとによって言葉のイメージが全然違うんですね、と、あんまりにも真逆なんでトラックバック送りませんけれども。


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2009.03.18

純粋になろうよ。

なにかのために議論するんじゃなくて、『話をすること』自体が目的であること。
そしてそれを楽しむこと。
……「オープンで」「フラットで」あろうとする、このような場では。

好ましくは、それ以上を望むべくもないということに気づくこと。


ネット上での議論について(はてな匿名ダイアリー):

メンバーの中に仕切る人がいて、それらの人たちの意見を明確にコントロールできるなら、ネット上での議論も可能かと思われます。
(中略)

・仕切る人が出てきたら、参加者は仕切られましょう

こういう風潮がネット上の議論の場所に作れるかどうかですかね。

作れると思うし、すでにあると思いますよ。
高い敷居と、狭い間口を越えた先には、ね。

そうじゃなくて、ブログとかそこらのオープンな掲示板で、"切磋琢磨"とか"自他ノ成長ニ資スル"とか、そのために「統制の取れた議論」をしようって?
それは無理なんじゃないですか?

ネット上では誰かが仕切ることを嫌う風潮が強く、「議論」のコンセンサスを取ることすらできない状況が多々ありますね。

当然でしょう。
ブログに代表されるようなこのような場って、今までも今も、「敷居を低く」「間口は広く」「オープンに」「フラットに」ということを志向/指向してきたわけですよ?
統制とは真逆の方向じゃないですか。分かるでしょう?

だから「オープンで」「フラットで」あろうとするこのような場で「議論」することの限界にさっさと気付いてほしいと思うんです。
さらに言うとなんでもかんでもごった煮にひとつの場に放り込む妥当性を再検証してほしいと思うんです。

……と書くと「真面目にやっている我々の方を追い出そうというのか!」と怒られるんですが、違うでしょ、と。

統制を取ろうと思えばそれなりの「敷居の高さ」と「間口の狭さ」が必要なことは分かるでしょう?
トンチンカンな反応されたり粘着されたりしてもわたし(たち)はせいぜい精神衛生上よろしくない程度のことですが、あなたがたには字面通り「死活問題」になるわけでしょう?

「棲み分けようよ」って、お互いの為というより、むしろあなたがたの為なんですってば、どうして分かってくれないんですか……話がそれました。


ともかくですね、最初に書いたように、「オープンで」「フラットで」あろうとする『こちら側』では、
純粋になろうよ、すなわち、
ネットワークコミュニケーションそのものを目的として、それを楽しむことに注力しようよ、
私はそう提案します。

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2009.03.15

重いようで軽くて、軽いようで重くて。

『ネットの縁』のこと。

言及(というかたちに)するのがいいのかだらだら考えていたら、あら、えらい時間が経って。
なんでもエントリというのは10分かそこらで"勢い"で書き上げるもんだ、というひとがいてわりと賛同を集めているようですが、できないものは仕方ないじゃん(笑)。ええ、2時間はザラ、1週間でも考えますよ。


blogをやっていて困ること・気がついたことを書いたら、「blogの乗り方」的記事になった件 - どんなジレンマ

もめ事が起きた時の工夫、炎上させないための工夫、WEBでの対人関係で心がけていることなど、

前2つについては何も書けませんが、『ネットの縁』について思うことなど。


ちょっとした誤解で縁を失うこともあると思います。だから継続してやりとりできていても、一期一会なんだよなって意識するようにしています。
失いたくないですもんね。強いようで脆いから、重いようで軽いから。 だから"間合い"をミスるとものすごい痛恨……

ただ、逆の意味というか。
「やりとりしてるあのひと」というと特別な思いを持ってしまいがちなのですが、相手にとっての自分はたかだか何十人のうちの一人にしかすぎなくて、実は自分にとっても数ある巡回先の一つではあったりして。
それを思うと、あまりに重く──特別なものと──考えてしまうと却って(感情的に)こじれたりしてしまうかも、という気持ちもあったり……
片想いじゃないですけど、相手は数十人から数百人(のなかの一人)、こちらは数人からせいぜい十数人(のうちの一人)、だったりすると、特にね。


時間泥棒かもしれんけど、WEBで時間浪費するのも悪くない。けど勧めにくい
これは『娯楽』だ、と言い切りますし、またそうあることを『純粋』と表現する「私は」強く共感するところですが……
中には(ビジネス的な)「成長ヲ求メル」だとか「切磋琢磨」だとか「人脈ヅクリ」だとかもっと直接的に「(現在モシクハ未来ノ)業務ニ資スル」とかいう目的の方々もいらっしゃるようですから、
そういうところに私(たち)のようなものがカジュアルにコメントしたりトラックバック投げたりするとですね、まぁ怒られたりすることもありまして、ちょっと今自粛かつ萎縮モードなんですが、そういう"Webにかける重さ"のアンバランスで困ったりはします。趣味・雑記的なエントリと混載しているところだと簡単に見分けつかないですから、『「軽く」反応していいのか?』というのが萎縮方向に傾いてしまって。

子供に教えるわけじゃないから、何かあったときに責任とるのは私ではありません。blogを開設した友人が責任を負うわけですよね。
これはそうすぱっと割り切れないかな。
いわゆる"道義的責任"ってやつ。
だからまず「やめとけ」って言葉が出てきますね。相談されたなら。


車の場合だと、危険予測してどう走るとか、スリップしやすい日の注意とか、夕方は見えにくいから運転しにくいとか、事故起こした時はどうすればいいかとか、理解してハンドル握りますよね。blogの場合もそうしたポイントがあるのだと

理解してないない(^^;……は言い過ぎかもしれないですけど、
「自分は大丈夫」って根拠なき自信で動いてますってば(^^;。

だから難しいんだと思うのです、外からも内からも、書こうとするのを押し止めるのは。
こういうことを炎上予防……もとい、防止というのかもしれないですけれど、「軽い言葉が重い結果を」ということ、どう伝えればいいのでしょうねと、強引にタイトルにつなげて終わりたいと思います。

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2009.03.13

アドリブの上手いひとは、ブログなんてしないんだろうな...

(しゃべりの)会話が苦手です。
文字でのやりとりを好みます。

(仕事上の)電話とメールの使い分けは何かと難しいですね……という話ではなくて。


とくに雑談してるときに思うことですけれども、上手い切り返しをポンポンと投げるひと、には憧れます。
あるいは私(たち)が十数分からときには2時間くらいかけてカーソルを行きつ戻りつさせてやっと作るような文章を、頭で組み立ててすらすらしゃべれたりするひとに。

たぶん、いわゆる"頭の回転が速い"んだろうな、と。


そういった「しゃべりが得意」なひとたちは、たぶん逆に「文章にする」なんてことには距離を置くのかも。キーボード叩くなんてかったるいこと(苦笑)やってられるかと。
だから、業務上のあれこれがともかく、趣味娯楽としてのブログなんて場には入ってこないんだろうなとふと思ったのですが。


『総表現社会』なんて嘘だよね、ということを近頃また考えていて、それが嘘になる──誰もが発信するなんてことにはならない──理由の一つとして。

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2009.03.07

呼んだか?

その数字なら、それだけなら"世間"と並べるんだ……

自分のハンドル名でぐぐると5万件近くヒットした(はてな匿名ダイアリー)

日本語(google.com/intl/ja/)において。

ここでのハンドルである Tristar の検索結果 約 5,200,000 件、

ブログ名である CONCORDE の検索結果 約 14,700,000 件。

(日本語(google.com/intl/ja/)または日本(google.co.jp)においてのみ)変動はあっても2ページ(20番目)までにはここが表示されるものの……ブログ名では特段恩恵があるはずもなく(苦笑)。


ちなみにTwitterハンドルである kugini の検索結果 約 177,000 件、(これも日本語(google.com/intl/ja/)または日本(google.co.jp)においてのみ))いきなり1番目に表示・・・


なお漢字実名では「8件」、さすが(もちろん全部自分ではない)。

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2009.03.05

自分(のコピー)探しの、旅の途中。

基本的には読み返したりはしない私ですが、そうはいっても時々は何を書いてきたのかと見返すこともあって。

……まーおんなじこと繰り返し書いとるなぁ、と(苦笑)。

ブログ=繰り言2.0(2006.07)

正当化しているんですけどね。

繰り返すのは、そして繰り返せるのは、そう簡単には伝わらないから。(2008.08)

ときに見られすらせずに、
ときに考えがぶつかるだけに終わって、
伝わらなくて。

もう一度、もう一度、と繰り返す。

深く共感してくれるひとに読まれるまで、
そして共感が広がるまで。

理想の読者=自分のコピー(2005.11)

そんな、『自分のコピー』探しの、旅の途中。
なのかもね。



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