重いようで軽くて、軽いようで重くて。
『ネットの縁』のこと。
言及(というかたちに)するのがいいのかだらだら考えていたら、あら、えらい時間が経って。
なんでもエントリというのは10分かそこらで"勢い"で書き上げるもんだ、というひとがいてわりと賛同を集めているようですが、できないものは仕方ないじゃん(笑)。ええ、2時間はザラ、1週間でも考えますよ。
blogをやっていて困ること・気がついたことを書いたら、「blogの乗り方」的記事になった件 - どんなジレンマ:
もめ事が起きた時の工夫、炎上させないための工夫、WEBでの対人関係で心がけていることなど、
前2つについては何も書けませんが、『ネットの縁』について思うことなど。
ちょっとした誤解で縁を失うこともあると思います。だから継続してやりとりできていても、一期一会なんだよなって意識するようにしています。失いたくないですもんね。強いようで脆いから、重いようで軽いから。 だから"間合い"をミスるとものすごい痛恨……
ただ、逆の意味というか。
「やりとりしてるあのひと」というと特別な思いを持ってしまいがちなのですが、相手にとっての自分はたかだか何十人のうちの一人にしかすぎなくて、実は自分にとっても数ある巡回先の一つではあったりして。
それを思うと、あまりに重く──特別なものと──考えてしまうと却って(感情的に)こじれたりしてしまうかも、という気持ちもあったり……
片想いじゃないですけど、相手は数十人から数百人(のなかの一人)、こちらは数人からせいぜい十数人(のうちの一人)、だったりすると、特にね。
時間泥棒かもしれんけど、WEBで時間浪費するのも悪くない。けど勧めにくいこれは『娯楽』だ、と言い切りますし、またそうあることを『純粋』と表現する「私は」強く共感するところですが……
中には(ビジネス的な)「成長ヲ求メル」だとか「切磋琢磨」だとか「人脈ヅクリ」だとかもっと直接的に「(現在モシクハ未来ノ)業務ニ資スル」とかいう目的の方々もいらっしゃるようですから、
そういうところに私(たち)のようなものがカジュアルにコメントしたりトラックバック投げたりするとですね、まぁ怒られたりすることもありまして、ちょっと今自粛かつ萎縮モードなんですが、そういう"Webにかける重さ"のアンバランスで困ったりはします。趣味・雑記的なエントリと混載しているところだと簡単に見分けつかないですから、『「軽く」反応していいのか?』というのが萎縮方向に傾いてしまって。
子供に教えるわけじゃないから、何かあったときに責任とるのは私ではありません。blogを開設した友人が責任を負うわけですよね。これはそうすぱっと割り切れないかな。
いわゆる"道義的責任"ってやつ。
だからまず「やめとけ」って言葉が出てきますね。相談されたなら。
車の場合だと、危険予測してどう走るとか、スリップしやすい日の注意とか、夕方は見えにくいから運転しにくいとか、事故起こした時はどうすればいいかとか、理解してハンドル握りますよね。blogの場合もそうしたポイントがあるのだと
理解してないない(^^;……は言い過ぎかもしれないですけど、
「自分は大丈夫」って根拠なき自信で動いてますってば(^^;。
だから難しいんだと思うのです、外からも内からも、書こうとするのを押し止めるのは。
こういうことを炎上予防……もとい、防止というのかもしれないですけれど、「軽い言葉が重い結果を」ということ、どう伝えればいいのでしょうねと、強引にタイトルにつなげて終わりたいと思います。
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