純粋になろうよ。
なにかのために議論するんじゃなくて、『話をすること』自体が目的であること。
そしてそれを楽しむこと。
……「オープンで」「フラットで」あろうとする、このような場では。
好ましくは、それ以上を望むべくもないということに気づくこと。
ネット上での議論について(はてな匿名ダイアリー):
メンバーの中に仕切る人がいて、それらの人たちの意見を明確にコントロールできるなら、ネット上での議論も可能かと思われます。
(中略)
・仕切る人が出てきたら、参加者は仕切られましょう
こういう風潮がネット上の議論の場所に作れるかどうかですかね。
作れると思うし、すでにあると思いますよ。
高い敷居と、狭い間口を越えた先には、ね。
そうじゃなくて、ブログとかそこらのオープンな掲示板で、"切磋琢磨"とか"自他ノ成長ニ資スル"とか、そのために「統制の取れた議論」をしようって?
それは無理なんじゃないですか?
ネット上では誰かが仕切ることを嫌う風潮が強く、「議論」のコンセンサスを取ることすらできない状況が多々ありますね。
当然でしょう。
ブログに代表されるようなこのような場って、今までも今も、「敷居を低く」「間口は広く」「オープンに」「フラットに」ということを志向/指向してきたわけですよ?
統制とは真逆の方向じゃないですか。分かるでしょう?
だから「オープンで」「フラットで」あろうとするこのような場で「議論」することの限界にさっさと気付いてほしいと思うんです。
さらに言うとなんでもかんでもごった煮にひとつの場に放り込む妥当性を再検証してほしいと思うんです。
……と書くと「真面目にやっている我々の方を追い出そうというのか!」と怒られるんですが、違うでしょ、と。
統制を取ろうと思えばそれなりの「敷居の高さ」と「間口の狭さ」が必要なことは分かるでしょう?
トンチンカンな反応されたり粘着されたりしてもわたし(たち)はせいぜい精神衛生上よろしくない程度のことですが、あなたがたには字面通り「死活問題」になるわけでしょう?
「棲み分けようよ」って、お互いの為というより、むしろあなたがたの為なんですってば、どうして分かってくれないんですか……話がそれました。
ともかくですね、最初に書いたように、「オープンで」「フラットで」あろうとする『こちら側』では、
純粋になろうよ、すなわち、
ネットワークコミュニケーションそのものを目的として、それを楽しむことに注力しようよ、
私はそう提案します。
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