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2009.05.28

ブログの2000日、そしてやっぱり『棲み分け』のススメ。

「ブログ」なるものを始めてから2000日が過ぎていました。

いちばん何を学んだかといえば……、
「書き手の思い入れと読み手のそれとは常に一致しない」
ということ、でしょうか。
"思い"以前に見てもらえたか否か、という時点ですでに、希望と結果にものすごい不一致が生じること。

パソ通(まぁ、そこらの掲示板でもですが)だと「レスをくれるただ一人」さえいればコミュニケーションの実感が持てていたわけですから、
アクセス数や被ソーシャルブックマーク数といった"エントリごとの多寡"を結果として突きつけられるというのは一種のカルチャーショックでしたね。出自として個人ホームページを経由していないからなおさら。


そして、繰り言にはなるのだけど、今、「ブログと過ごした2000日」を踏まえて。

あまりにも広すぎて、
あまりにもオープンすぎて、
あまりにもフラットすぎるから。

『シリアス』と『ビジネス』には、とても使えたもんじゃないのだと。

フラットといえど結構冷厳な"実力による序列"があったりしますけどそれはともかく、
シリアスにしろビジネスにしろ、一定の意識のレベルと議論のレベルにそろっていないと「話をする」ことも出来ない、文字通り「お話にならない」わけで。。
ところが無制限にオープンだからすべてがネタとして消費される方向に流れて、シリアスさが深いほど失望もまた深くなってるし、切磋琢磨だ人脈だと意気込んでいる層にとってもひどく効率の悪いものになってる・・・でしょう?

だからね、やっぱり『棲み分け』を考えませんか、って、
あなたがたのために。
そりゃまぁ軽い気持ちでちょろっと言及してこっぴどく怒られたりする"こちら側"の不幸を避けるためでもあるんだけど。

ここ(無制限にオープンな場)ではあえて強い目的を持たずにね、コミュニケーションそのものを純粋に楽しもうよ。
一定の意識レベルや話のレベルが必要なことはそれぞれの『ゲーテッド・コミュニティ』で存分に"濃く"やればいいじゃない。

なんで"我々を追い出そうというのか!"って受け取り方するんですか?
話をするためには「質の維持」が必要でしょう?
で、「質の維持」のためにはなんらかの関所を設けるのが一番じゃないですか。
そうでしょう?
"お気楽"連中が壁の中に入ったって意味がないんだから。


……何度目になるか分かりませんが。
「ブログを見てきた2000日」を機に、もういちど提案します。

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