どっちかというと、一時罹る熱病、であると……
一時とはいえ年単位であることも珍しくないのですけど(笑)。
なので反論ということではないのですけれども、
わたし、個人的にいまどんどん書く意欲減退中でございましてですね……
その後の、どんなジレンマ 書く場所を確保して、更新を続ける業(ごう)について:
blogを更新するのはメリットがあるしデメリットもある。それでも更新続けるのは業(ごう)が深いからだと僕は考えたのだけど、延べ人数で(一人で複数開設してる可能性があるので)1000万人前後の人が程度の差はあってもそうした「書きたい・伝えたい」という業(ごう)の持ち主かもしれないのですね。
その一千万の何割かは業(ごう)ではなく業(ぎょう)かもしれませんね。つまり(現在もしくは将来の)ビジネス絡み。
まぁ、わたしはそれらとは距離を置きたいですが……
それはともかく。
いまでも(紙の)日記帳の需要はかなりあるようですし、ここまでブログブームになったのはもともと「日記を書く文化」があったからだ、という話もあるようで、まさしく業(ごう)なのかなぁ、という気もするのですが、
どうなんですかねぇ?
(紙の)日記を、ブログと同じように──ただしブログと違って遠い将来もしくは死後に、ですが──「他人に読まれることを想定して」書いていた、もしくは書いている人って、どれだけいた(いる)のかなぁ?と思うと、いまいち納得できなくなるような、やはりいまのブログブームは「ブーム」、どっちかというと一時罹る熱病、であって、年単位かもしれませんけど、個々人にとってもいつかは醒めてゆくものなのかなと、いまちょうど自分がそうなりかけているのでですね……(苦笑)。
まぁ「波」かもしれませんけれども、読んでいるだけで充分、になりつつあるんです、ブログの巡回範囲を、Twitterのタイムラインを。
……そのほうがいいのかな、という思いもあるんです、
「自分にとっての終わり」が、サービス終了という「場の終わり」よりも先に来るほうが。
自分は業(ごう)を抱えたまま、先にサービスの終わりを"看取る"というのはね、やっぱり、精神衛生上よろしくないのですよね……
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