「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?
「上の人」にとって、議論(コミュニケーション)はなにかを生むための「手段」だと思っていましたが。
だから生産的だの何だのという評価基準が出てくるのだろうと考えていましたが、違うのでしょうか?
つまり、手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行うメリットありやなしや、という問いかけです。
実名の生産的な批判より匿名の悪罵のほうが圧倒的に多いことが「上の人」を萎縮させ、日本のウェブのレベルを下げているのだ。その結果、アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり、大手メディアに対抗する存在になりつつあるのに、彼も嘆くように日本のブログはますます劣化している。
(中略)
そして、はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者がreputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。
そういう点なきにしもあらず、とは見ていて感じますが、しかし……
なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?(2009.01)
悪罵云々以前の問題で、(トップシェアとなり事実上(日本の)標準形になったのは結果論であるにしても、)SBMの出自と本来の目的からすれば「主」であるべきタグ付けを脇に追いやり、コメント(でのコミュニケーション的なもの)をメインに据えたはてな(ブックマーク)の"罪"は重いとは思いますが、
もうはてな(ブックマーク)を潰したところで他社がポータルの座を奪うだけでしょう、そこをいまさら憤っても嘆いても仕方ありません。
さて
アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり
の部分。
わたしは"衆愚の一"としてネットワークコミュニケーションはそれ自体を目的として楽しむべきものと思っていますが、
やはり「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?
違うと思っていましたが。
あくまでなにかを生むための「手段」、だと。
だとしたらですよ、
手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行う必要がどこにありましょうか?
議論といえばキレイですが、主張が揺れたりときには喧嘩したり、という、そんな過程を──それが悪罵の対象になるのであれば尚更!
いいこと書いている人がいます。
アテネの学食? え、学堂? - はてな読み:
専門家たちは専門用語の飛び交うコミュニティで研鑽すればいいじゃないですか。どうしてシロウトをそこに混ぜる必要があるんですか。それに、シロウトが乗り込んでいってすぐに「知的エリートになれる」ような分野はどんだけレベルが低いんだってことになるでしょw
ですから。
『「議論」それ自体が目的』でないのなら。
過程、コミュニケーションは「志を同じくするひとびと」で存分におやりになればよろしい、それぞれのゲーテッド・コミュニティで。
そのほうがよほど「生産性」に資するでしょう。
そして、その目的であるところの「成果(物)」になってはじめて(もしそうしたければ)わたし(たち)のような"下々の世"にも広く明らかにすればよい、のではないでしょうか。
議論の過程でヤジられて潰されるのが損失であるなら、そういう考え方もできるのではないでしょうかと、僭越ながら提案させていただく次第であります。
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