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2009.06.28

結論は似てるけど、うーん……

ふむ、まぁ、実数の多寡はともかくとして、そういう使い方(をしてるひと)が幅をきかせているらしいのは同感ですけれども。
twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい - シロクマの屑籠(汎適所属)

タイムラインを全部読まなければならないとか、返答義務を意識してしまうような状況も少ない。特にfollowersの人数がそれなりに多い人同士の繋がりの場合などは、殆ど応答が無い状況がいつまでも続いたとしても、殊更問題になるようなことは無い。また、removeのしやすさという点でも、よほど人数が少ないtwitterユーザー同士の間でもない限りは、かなり簡単に実行することができる。仮にremoveのような事態が起こったとしても、followersが十分に大きければそれほど打撃にはならないし、そんな事に拘泥していられない程度にはタイムラインのログの流れは速い。

それってもはやコミュニケーションとは言えない状態であって、「コミュニケーションツール」ではなくなっているんじゃないですか。
読みも、どころか見もしない相手(の投稿)とコミュニケーションを取るなど不可能なはずでして。

じつは『(自分(の稼ぎ)に)使えそうな情報漁りツール』として使ってるんじゃないの、と邪推してみたりするわけですが、まぁいいや、別の話。


具体的な根拠は先に書いたので繰り返しませんがですね、
参考→そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)
本来はTwitterだからといって他のネット(コミュニケーション)サービスと何ら変わらない性格のものであるはずで、
上述のような"もはやコミュニケーションとは言えない状態"を『twitterでさえ』という謎の最低基準にして、「まともな」──設計企図通りの、という意味──コミュニケーションをめざすひとを指して『インターネットは難しい』なる判断をなさるのは、なんだかなぁ、と思ってこのエントリを書いた次第。


傷つきたくも傷つけたくもない、という思いは確かにあるけど、他方で、摩擦のひとつもなくて何がネットコミュニケーションか、というのも真実であるわけで、前者の思いがあまりにも強いなら(それはTwitterとは何ら関係なく)『インターネットは難しい』かもしれませんけど。

まぁしかし、Twitterだと「傷つく」のはともかく(フォローの少ないひとを)removeでもしない限り「傷つける」ことはあんまり心配しなくていいと思うんですけどね。
上述のような理由で、何十何百とフォローされていたってあなたのつぶやきは、あなたが思うほど読まれてはいないわけで(苦笑)。
#おいらは読んでるけどね、前回ログアウトしてからのものも含めて

実際のところは(明示的に"つながって"いてさえ)なかなかコミュニケーションには至らない、という"群衆のなかの孤独"を体感するにはうってつけだとは思いますし、それに耐えられなければオープンな(=しらないひととの)コミュニケーションは難しい、とも思いますけれども、しかし、Twitterが"最低攻略レベル"だとは思わないんですけどね。

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2009.06.24

『そんな延期は延期しろ!』

……確かこれ、
灰谷健次郎『兎の眼』(理論社:1974年)
で出てきたセリフだったはず...

ええ、いま、何に向かって言いたいかと申しますと。

日本語ではこれが一番早いか→787のテスト飛行延期 米ボーイング、納期影響も - 47NEWS(よんななニュース)

そしてボーイング公式:
Boeing Postpones 787 First Flight - Jun 23, 2009

しかしまぁ、5度目ですか、どないなっとんねん、という...

米本国でもえらい言われようのようで:(一例)
Boeing 787 Dreamliner dubbed 7-late-7, nightmareliner, & more
上手いですよね、eight→late/dream→nightmareって……感心してる場合ではないのですが。
あとは"Hangar Queen"(格納庫の女王)とか……




……まぁ安全第一でよろしく>各位

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2009.06.20

『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』

引用するのは二度目、あるいは三度目か。

タイトルは<リーナス・トーバルズ[Linux開発者]+デイビッド・ダイヤモンド・著/風見潤・訳/中島洋・監修:『それがぼくには楽しかったから』:小学館プロダクション:2001年>より。
(出版社が社名変更していたうえに書籍検索に出てこなかったのでリンク省略)


前世紀に通り過ぎた「社会化」のフェーズにいまだ夢を託し、なおかつそこで「進歩」を留め置こうとするほうこそ、よほど『残念』と言えるんじゃないんですかね、見方を変えれば。

日本のネットで本当に残念なこと 「梅田発言」の波紋 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

本当に残念なのは、(中略)粘り強く中高年に可能性を伝え、若い経営者には問題を解決して社会とのコンフリクトを減らすように助言・指導する「大人」が少ないこと

かつては居た、と思いますけど?
パソコン通信の昔にはね。

ビジネス上の地位もそれなりに高いひとは数多おられたように感じましたし、
ということは参加者の比率でいうと今とは比べ物にならないくらい高かったはずなのですが、
それでも世の中──セージケーザイ方面を指すのですよね──を変えられなかったわけですよ。

あのひとたちは本当にどこへ"消えて"しまったのか、
なぜ「インターネットでのコミュニケーション」には出てこなかったのか、
それは分かりませんけれど、

現象として(日本語文化圏では)「社会化」のフェーズはパソコン通信の時代に通り過ぎてしまった、そう言えるのではないですか?
だから、「インターネット時代」になったときには既に娯楽のフェーズに「進歩」したあとだった、のです。

さらに言うと。

世界有数のブロードバンド環境と高性能な携帯市場

それも「娯楽化」を加速させた一因ではないのですか?
敷居が下がるとなぜか"上"が隠れる(鴨居に頭をぶつける人が出てくる、という名言を読んだことがありますが)のは経験則からみて「法則」と言っていいと思いますけど?

とにかく。
「娯楽」にたどり着いた進歩がいまさら「社会化」に逆行することなどあるものか、と正しく認識すべきではないかと思うわけであります。
関連→ナニヲイマサラ。(2009.06)

といっても、エンタメ・サブカル方面には有効なんでしょう?
それで、いいじゃない。


過ぎ去りし「社会化」のフェーズにいまだ夢を託したければ、新たに仕切った場で(人の)流入と(情報の)アウトプットを絞ってやればいいのに、と思いますけれども、オープンなネットコミュニケーションで、ということであれば、
「ヨノナカヲ動カス為」などという"目的意識"や「(稼ギニ)使エソウナ情報and/or人脈ネットワークヅクリ」などという"邪な考え"には一刻も早く絶望していただき、コミュニケーションそのものを目的とする純粋な使い方に一刻も早く立ち返っていただくことを、心より願ってやみません。
関連→純粋になろうよ。(2009.03)


もう一度繰り返しておきましょう。

生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。


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2009.06.19

a scene of SHIKOKU

Shikoku

なにも言わずとも「これぞ四国」ということを雄弁に語る1枚。

……といいますか、いわゆる「へんろみち」沿いの国道の何百とあるキロポストの大半に札所への案内がくっついていたりとか、.go.jpドメインで結構"使える"ガイドがあったりですとか(→四国88NAVI)、他宗教からクレームついたりしないのかと妙な心配をしてしまった次第(苦笑)。


おまけ。
バス待ち中のひとこま。
ちょっとした外界の変化にいちいちする後ずさりするこねこがかわいくてですね、もう.....
Cats

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2009.06.18

はぁ...『パパ耕作』でございますか...

件の超級商店におきましてですが、山と積まれた某高級ビールの、その頂上に鎮座します大画面液晶にですね、繰り返し「父の日」のキャンペーンCMが流されてございましたが。

その「お父さん」のイメージキャラクターを勤めておりますのがですね、現在"初芝五洋ホールディングス株式会社代表取締役社長"であります『島 耕作』氏でして。
ええ、たしか昨年より引き続き、でございましたね。

しかしまぁ...『パパ耕作』でございますか...

巷の噂...もとい、Excite Bit コネタWikipediaによりますと、相当(婚外の)女性遍歴をお持ちのようでございまして、ですね...

二年連続起用、という実績を見るに、"世間"においてはそれほどの違和感もなく受け容れられているものとは存じますが...
『ビジネスマンとしての「憧れの対象」』であるかどうかはさておき、家庭人として、ましてや「プレゼントを贈る対象」としては、その、何と申しますか、それは道徳的にいかがなものか、という思いに至った次第でございまして、はい。

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2009.06.05

「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?

「上の人」にとって、議論(コミュニケーション)はなにかを生むための「手段」だと思っていましたが。
だから生産的だの何だのという評価基準が出てくるのだろうと考えていましたが、違うのでしょうか?
つまり、手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行うメリットありやなしや、という問いかけです。

梅田望夫氏の開き直り - 池田信夫 blog

実名の生産的な批判より匿名の悪罵のほうが圧倒的に多いことが「上の人」を萎縮させ、日本のウェブのレベルを下げているのだ。その結果、アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり、大手メディアに対抗する存在になりつつあるのに、彼も嘆くように日本のブログはますます劣化している。
(中略)
そして、はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者がreputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。

そういう点なきにしもあらず、とは見ていて感じますが、しかし……

なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?(2009.01)

悪罵云々以前の問題で、(トップシェアとなり事実上(日本の)標準形になったのは結果論であるにしても、)SBMの出自と本来の目的からすれば「主」であるべきタグ付けを脇に追いやり、コメント(でのコミュニケーション的なもの)をメインに据えたはてな(ブックマーク)の"罪"は重いとは思いますが、

もうはてな(ブックマーク)を潰したところで他社がポータルの座を奪うだけでしょう、そこをいまさら憤っても嘆いても仕方ありません

さて

アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり

の部分。

わたしは"衆愚の一"としてネットワークコミュニケーションはそれ自体を目的として楽しむべきものと思っていますが、
やはり「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?
違うと思っていましたが。
あくまでなにかを生むための「手段」、だと。

だとしたらですよ、
手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行う必要がどこにありましょうか?
議論といえばキレイですが、主張が揺れたりときには喧嘩したり、という、そんな過程を──それが悪罵の対象になるのであれば尚更!


いいこと書いている人がいます。
アテネの学食? え、学堂?  - はてな読み

専門家たちは専門用語の飛び交うコミュニティで研鑽すればいいじゃないですか。どうしてシロウトをそこに混ぜる必要があるんですか。それに、シロウトが乗り込んでいってすぐに「知的エリートになれる」ような分野はどんだけレベルが低いんだってことになるでしょw

ですから。
『「議論」それ自体が目的』でないのなら。
過程、コミュニケーションは「志を同じくするひとびと」で存分におやりになればよろしい、それぞれのゲーテッド・コミュニティで。
そのほうがよほど「生産性」に資するでしょう。

そして、その目的であるところの「成果(物)」になってはじめて(もしそうしたければ)わたし(たち)のような"下々の世"にも広く明らかにすればよい、のではないでしょうか。

議論の過程でヤジられて潰されるのが損失であるなら、そういう考え方もできるのではないでしょうかと、僭越ながら提案させていただく次第であります。

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2009.06.04

そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。

公式に推されてる使い方を全否定してみせる、ゆうのはなかなか豪気やけど、やっぱりそれ、アカンことやと思いますねん。

Twitterを楽しむ10の方法(初心者ver) - 隠フェミニスト記(仮)
読まさしてもろたんですけど。

(1)twitterはチャットではない。
(中略)
はっきりいいます。会話をする場所じゃありません。
のっけからすごいことをおっしゃる。
(3)知人・友人は誘わない。
(8)会社の人には絶対に言わないでおきましょう。
(9)つぶやきは自分の状態の「実況中継」じゃない

……あのね。
ログインする前のhttps://twitter.com/の画面になんて書いてありますか?

Twitterは「いまなにしてる?」という質問に短い文章で答えることによって、友だちや家族、職場の同僚とつながり合うサービスです。

そして、Twitterヘルプになんて書いてあるのか、もう一度じっくり読んでみてくれませんか。
ついったーはソーシャルネットワークではありません。社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワークです。

つまり「りんごをかじっている」「週末が楽しみ」「郊外に出かける」といったつぶやきが,Twitterのユーザーにとって大切な情報なのです。

身近な人たちの「いま」を知ることで,お互いにまるですぐ近くにいるかのように,つながり合えるのです。

わかります?
あなたのその"Twitter指南"、公式に推されている使い方を全否定していることに気付いてますか?


自分と同じ情報網の人はフォローしない。
自分と同じカテゴリーの人はフォローしない。
コミュニケーションしなくていいから。
情報網を築き上げよう。
興味があるのはあなたが「何を考え」「何を知っていて」「どんな情報を持っているか」です。
……等々から推測するに、 『((自分に?)使えそうな?)情報漁り』のための基盤、としてTwitterを見ているし、みんなもそういう使い方をすべきだ、ということなのでしょうが……

いや、そういう使い方自体を、やったらアカン、というわけじゃないんですよ(禁止されてるわけじゃないし)、
たぶん現実に(日本の)いわゆる"アルファ"なひとたちはそういう使い方がメインなのでしょう──だから3桁4桁フォローしても"平気"でいられるんだ、とあなたのエントリを読んで気付きました──し、
ある商品やサービスが『「開発者の考えもしなかった使われ方」によって大ヒットする』なんて例は世の中にやまほどあるわけですから。

だけど、そういう使い方は、"こっそりと"されるべき、やと思うで?

上にも引用しましたが、
Twitterというのは(現時点では/公式には)断じてコミュニケーションの、しかも「ゆるい」コミュニケーションの基盤なんですよ。
繰り返しますが、それ以外の使われ方が許されない、なんて思っていませんよ。
ただし、「公式に推されている使い方を大っぴらに全否定して」((自分に?)使えそうな?)情報漁りツールとして使うべき、などと公言するというのは、それは運営に対する冒涜と違いますか、いくらなんでもアカンと思うわ、と言いたいわけです。

少し方向は違いますがかつてこういうことを書きました:
ならば、それが実現できた世界を、あなたが作って見せればよいのです。(2008.01)

大っぴらにそういうことがしたけりゃ、「自己の発案とマネジメントで」場を立ち上げるがよかろう、と。
違いますか。


わたしも言うほど"忠実に"運営意図に沿ってはいないのですが、リアルで近いひとはネットではあまりにも遠いがゆえに友人同僚の類はフォローには居なかったりしますし。
ただ、「コミュニケーションの基盤」という意味ではまさにそう思って使っていますし、それを全否定するかのような書き方されたんじゃたまらんな、と思ったので反論書かせて頂いた次第です。

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2009.06.03

ナニヲイマサラ。

……そう、勝ち誇ったような言い方してもいいよね?

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsを読みましたけど。
後編はとりあえず「どうでもいい」。)

ものすごく優れた人たちが徹底的に切磋琢磨するプロフェッショナルな世界

だからそれは「オープンな」場じゃ無理なんだってば。
「オープンで」「フラットで」と志向すればするほど、(参加者の)意識レベルに統一が取れなくなっていくのは当たり前でしょう?
なんでそこで「切磋琢磨」なんてことが出来ますか。
無制限に「オープンで」「フラットで」あることの妥当性を再検証すべきだと思いませんか?(2008.05)

「上に上がるため、自分を高めていくため」?
そりゃ無理だね。いままでも、いまも。

すべてが娯楽になった世界に在りて君は何を想うのか(2006.09)

サブカル・エンタメ方面以外に生かせていない?
そんなの最初の最初からじゃないですか。

いますぐ脱出を。さもなくば、感謝を。(2008.02)

『なんとかかんとか2年以上は続いてきた「月に1度は3桁アクセス」が先月ついに途絶した』程度のわたしですらとーっくの前にはっきりと表現できたことを、ナニヲイマサラ申サレマスカ。
あるいは、やっと諦めがついた(と公言する覚悟ができた)のでしょうか?


「優れた人たちが徹底的に切磋琢磨」ってのは、日本でもそこそこあるんじゃないですか。当然、そこから生まれたビジネス、というのも、それなりの数は。
記事としては『有志の勉強会で~』なんてあいまいに表現されたいくつかのものが、実はSNSやMLのことだった、というのはいくつもあるでしょうよ。
取材するほうがマイナーすぎると判断してそう表現したとか、取材されたほうが(今後のレベル維持を考えて)そういう表現にするよう頼んだのかもしれないし。

繰り返し繰り返し書くけど、
ビジネスだ切磋琢磨だというなら、それぞれの(ゲーテッド)コミュニティでやればいいじゃん。
「オープンで」「フラットな」ここいらは、コミュニケーションそれ自身が目的の、上のほうから見れば『バカで暇な』部分を引き受ける場、でいいじゃんか。
ひとりが複数の場に所属したっていいんだよ、それで何の問題があるのさ?

そりゃあ、「多くの人に」感じてもらわなきゃ、動いてもらわなきゃならない、政治や社会問題には限界があるだろうけどね……

濃い話のある薄い世界で(2007.11)


(株)はてなに関わる件は会員でもないのでスルーしますけれど、

梅田さん、たしか著書のどれかで「世の中の大きな流れには逆らいようがないからそこでなんとかサバイブしなきゃ」とか仰ってませんでしたっけ、だったら残念がるだけじゃなくてせめて"サバイブ指南"とかすればいいのに、とか思いましたけれども(まぁ、そこは個々で考えろ、ってことかもしれませんけど)。

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