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2009.07.31

追加!つごう二丁!

ここまで"あからさま"なのは久々な気がするので、と言い訳して、

変わりつづけるネットの世界で、たったひとつの変わらないもの(2009.04)

に、
もひとつ追加。

『「ベテランが(その場が培ってきた"暗黙の了解"を無邪気に蹂躪する)初心者にイラつくの図」をウォッチャーが眺めるの図』

ま、バトル(と、バトルウォッチ)のひとつの変化形でもあるかもしれませんが。

……ええ、某所での某歌手にまつわるアレを見ての感想でございますが。
というぼかした表現がほんの半年くらいで世間はもちろん書いた本人にも何のことだか忘れ去っている(次の何かに上書きされている)のもまた"お約束"かもね。

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2009.07.18

もう笑うしかない(主に失笑として)

【おちついてよくかんがえてみましょう】
「床屋政談」がTwitterに場所を移したら現実世界へのフィードバックを考える話になるの?なんでそんなこと思えるの??
その興奮を落ち着けて。
冷静に考えてみてくださいよ。

政治や社会を変える発火点になる:日経ビジネスオンライン

まことに失礼とは存じますが、失笑を禁じ得ません。
……勘弁してください、ほんとに。
こんなところの話が政治や社会に変化を与えるなんて。


Twitterに限らず一般のブログであっても掲示板であっても、とにかくこんなオープンなネットコミュニケーションの場で。
(参加者の意識)レベルに下限を設定して"真剣でない方お断り"とかできるわけじゃなし、すべてはやがてネタ化して刹那の娯楽として消費されゆくことを知らないわけはないでしょう?──たとえ当事者(たとえば政治家)がそのなかに居ようと

関連→ブログの2000日、そしてやっぱり『棲み分け』のススメ。(2009.05)

いわゆる「居酒屋談義」「井戸端会議」「床屋政談」のたぐいが、ただ空間の制約をこえてネットに移ってきた、ただそれだけのことじゃないですか。

なんで「居酒屋談義」「井戸端会議」「床屋政談」のたぐいがネットに移ってきたら現実世界へのフィードバックを考える話になるんですか?
フィードバックできる話じゃないでしょう?
安易にフィードバックしていい話じゃないでしょう!


……"新しいツール"が出てくるとやがてそういうことに使おうという夢を持つひとが出てくるのは止めようがないのかもしれません。
それはいいのですが勝手に過大な希望を抱いて"実験"に身を投じてみたものの現実に押し返された挙句に「残念だ」とか捨て台詞吐いて撤退したりしないでくださいね。

気楽なコミュニケーション──ただ、まぁ、人と人との間のことです、たまには喧嘩腰にもなりましょう──という"本領"を離れてリアルに影響を及ぼそうとすることは、回り回って自分(たち)の首を絞める結果になりかねないのです。

元の期待が大きかったほど、失望は容易に憎しみへと転化します。
たとえば政治家が使っていたとして、その「失望が転化した憎しみ」を原動力にして現実側からの規制圧力をかけてくるような事態になることを、わたしはなにより恐れます。

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2009.07.14

清々しいまでの、この断絶

公称──"中央"に近ければ──月曜日発売の『AERA』(朝日新聞出版)ですが、遠いここでは「火曜にやっと手に入るモノ」でして(ちなみに数年前までは水曜だったのよ)。

その今週のアエラの「現代の肖像」がですね、某──隠す必要はないな、株式会社はてなの近藤社長だったんです。

……目次見てひっくり返りましたよ、ええ。


"普通"は月曜に入手できているはずであるのに、火曜の夜に現物の目次見るまでネットからの情報が一切飛び込んでこなかったとは。
自分の巡回範囲にいわゆる"はてな民"が相当数居るにもかかわらず!
記事の「内容」が驚くに値するかどうか以前に、どこかのブログで、ソーシャルブックマークで、Twitterで、その「事実の記述」を見かけてもよさそうなものだったのですが。


「リアルで目にする情報」と「ネットで目にする情報」との、
見事なまでのこの被らなさ、
清々しいまでの、この断絶。


戦慄すべきなのでしょうか。
重複がなければ同じ時間でも多くの情報を得られる、ことになるのだから、
この奇跡を祝うべきなのでしょうか。

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2009.07.11

ネットとリアルと趣味と実利と

ちょっとここは誤認だと思ったのでお返事。
インターネットでのコミュニケーションに関する違いをぶつけ、見付けた6つのもの - どんなジレンマ

「切り離したい」のは地続きだからこそ、ですよね。オンラインとオフラインは地続きである、という合意が取れたかなと

ちょ、ちょっと待って...
『匿"顔"性』という言葉を前世紀から使ってきましたし、
「リアルでの属性(のしがらみ)からの解放」がネットワークコミュニケーションの大きな特徴のひとつだとお話ししたことがありますし、
今回の対話の中でもネットではネットのことを/ネットのことはネットでということも挙げましたように、
原則「ネットとリアルは別世界」という思いで十数年続けてきています(何食べた、どこ行った、という、それこそ本当に"他愛のない"話は別にして)。

表現が悪かったなら、「切り離したい」は「(できるだけ)切り離された状態(のまま)でありたい」に修正します

ですから「企業利用」も「個人が稼ぎのタネを漁る」のも「政治利用」も同じ感情でもって嫌がるのですよ。


「話をすることそれ自体が目的であり楽しみ」から、「やりとり自体が目的」に表現が変化しましたね。
ここはツッコマれても仕方ないので甘受するとして……
コミュニケーションに、殴り合いや怒鳴り合いまで含めたいとは思わないからです。
それは…… 分からないわけではなくて、そりゃーモメる当事者になるのも見るのもイヤなのはわたしも同じですけれども、 それこそ20年も前からバトルと運営批判はネットの華であり続けているのもまた現実でしてですね、それこそ「ネバーランド」を望・・・

もしかして営利とか政治とかいう"オトナの世界"を忌避するのをピーターパン・シンドロームと皮肉っての「ネバーランド」だったりしました?
いまのいままで単純にユートピアの別名称として受け取っていましたが(苦笑)

・・・えー、それこそ「ユートピア」を望むがごときものではないですかと。
むしろ利害もしがらみもないからこそ妥協なくとことんまでこじれることはありそうです。


僕らがそれを嫌だなともし感じた時に、どうしたらいいでしょうか。リムーブ・ブロックではいけませんか?
「見たくない・あなたとは関わりたくない」と表明することは出来ても、「Twitterなんだから、そんなこと書くなよ」と相手に要求するのは無理があると僕は思います。
要求することが無理筋であることは理解しています、「自由」ですから。 なので個人に対してはかなり難しかろうと思いますが、

営利組織や政治での利用を考えた場合、「敵を作る」こともできるだけ避けなければならないことであるような気もします。
「熱狂的に支持されるが、激しく嫌われてもいる」というのはいかがなものかと。
Twitterでいえばやたらリムーブやらブロックされるという状態が相当しますね。
ここに入ってくるなんて嫌ですよ、という表明をしておけば、それでも入ってくることで敵を作ることは避けたいという心理が働いてくれるのを営利組織や政治には期待してもいいのではないかと思いますが。


繰り返しになりますが、「絶対的に趣味の領域だ」と言明する同士でこんなやりとりを──飽きもせず──繰り返すのが、繰り返せるのが、いちばんの、そして正統な醍醐味なんじゃないか、今までも今も、そう思っています。

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2009.07.10

そう、だから、営利にも政治にもネバーランドじゃない。

どっちも「結果を出す」ためにやってるのに、そうするための理想郷でもないし、むしろあまりにも非効率な場だ、ってことでもありますよね?

インターネットはネバーランドじゃない - どんなジレンマという返答を頂きまして、「そう、Neverじゃない、"有り得る場"なんだ」とか「半径ワンクリックの理想郷」というフレーズを思いついたのですが元の話と関係なくなることに気付いてタイトルに使うのは自粛。

id:rhbさんが言及してくれたので、問題点を箇条書きに。 - どんなジレンマ

インターネットに対するとらえ方が違うのではないかと僕が延々書きましたが、話があっちいったりこっちいったりして読みにくいこと山のごとしだと思います。

こちらこそすみませんね、話を発散させてしまって(^^;……というのも営利/政治利用に向かない理由のひとつではあろうかと思うのです。特に制限のつけようもない場で、話をまとめようもないじゃないですか。つまりは議論の「生産性」とか「効率」だとか、そういうものを必要とするようなたぐいの話をするにはあまりにも不向きなんですよ、こういうところって。

短い言葉でいいことを書かれる:
Twitterを嫌う人が間違っている理由 - はてな読み

「Twitterで政治を変えよう」「Twitterで革命を!」なんて言い出す人がいたら、それは「電話で政治を変えよう」「電話で革命を!」って言ってるのと同じだと思いますw


インターネットはネバーランドじゃない - どんなジレンマ

企業がTwitterに参加したら、「他愛もない双方向コミュニケーション」は維持できなくなるだろうか。例えば、ラジオ番組。リスナーからのハガキ・FAX・メールを募集して、「誕生日おめでとう××」なんて読み上げながら、番組を進めている

ちょいと例えが無理筋では。DJなりパーソナリティーなりが社員アナウンサーであっても、「聞いたリスナーが放送局に対して取る行動」が直接は放送局の利益につながらないハズで。放送局がおカネをもらうのはスポンサーから、でありますからね。

Twitterの場合は、企業がスポンサーとして参加するわけではありません。ただ1ユーザーとして企業アカウントを取得するのです。
むしろ「だからこそ」嫌がっているのでして……。キャンペーンサイトであったり、Twitterでもタイムラインの「外で」なにかをする分にはまぁしゃーないかな、程度に思うのですが、ともかくビジネスとしてはっきり区分していてくれたほうがまだマシかなと。 だからむしろ個人が「使エソウナ情報/人脈漁リ」してる、ほうが嫌悪感は大きいかも。それも変態postしつつ実は...とか、そんなんいちばん"やらしい"んとちゃうの、とか思いますけど。
「守りたい」と掲げられた二つの「だいじ」は、本当に実在しますか? そして、企業が参加することで壊れてしまうほどヤワなものですか?
バトルであっても「やりとり自体が目的」の部分は"ネットから出ない"限りにおいて守られていると言えるでしょうし、"リアルの利害"が入ってくることでそれがいくらか毀損されるのは間違いないでしょう。
オフラインの世界に、「オンライン」というレイヤーを被せただけで、地続きだと考えています。
ああ、この点、わたしは「切り離したい」派です。
代表してひとつだけ→画面の枠の中にとどまることを、私は「純粋」と呼びたい。(2008.03)
実力主義ですから、当然、表現力・コンテンツ作成力が弱ければ相手にされません。差が広がります。インターネットはネバーランドじゃないです。
その絶望は骨身に沁みています→群衆の中の孤独-ひとりでウェブに立ち向かうということ(2003.12)
個性の実力−「理想のコミュニティ」改題(2006.03)
上手にやれば、生協の白石さんみたいな感じでやりとりを楽しみつつ+αもあるような対話が成立するだろうと僕は想像しています。
これはお詫びしないといけないと思うのですが、どんジレさんは元から、企業(アカウント)であっても雑談や珍問答をする、むしろそっちをメインにすることを想定しておられたのですね。私はもっと「利益に貢献」を意識した「企業活動っぽいこと」を念頭に置いていたところから食い違いが生じていたように、今になって思います。
インターネットをどう捉えているかという点で、立場の違いがあるように思いました。
これはまさに仰るとおりで…… どうにも締まらない〆で申し訳ないですが、元が違うからちょっとずつ食い違った話になってしまう。

まぁ、でも、わたしにとってもこれだけの長文の応酬は久々で、これぞネットコミュニケーション!という感じではありました。感謝。

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2009.07.09

純粋であれ!と願うこと。

他愛もない双方向コミュニケーションを、
話をすることそれ自体が目的であり楽しみであることを、
その価値を守りたい。

示された憂慮は企業に届くように、「Twitter利用をしないと企業は得をする」記事を書かれてはいかがだろう? - どんなジレンマ

「Twitterを企業が使うと、これだけ無駄があるよ!」という記事をお書きになられてはどうだろう。憂慮示されるよりも、企業に対して声が届く可能性があるのではないでしょうか。

うーん、憂慮のニュアンスというか方向性はすこし違うのですが(後述)、せっかくなので考えてみると……

(営利)企業として使うとなると、使うことで利益に貢献しないといけません。
広告出稿ならばTwitterの収入になりますし出稿企業にもクリック誘導が売り上げにつながれば単純にそれでよし、ということになりましょうが、
そうではない、「タイムラインに溶け込んだ双方向コミュニケーション」を目指すのだとすると、少なくとも短期の利益には貢献しません。
必然、長期的なイメージ戦略の一環としての利用、ということになりましょうが、そうなると、
人気に火がついてはならず(せいぜい数日の旬として消費されたらオシマイ)、
しかしある程度には目立ち続けなければ意味がない(完全に溶け込んでもダメ)、
という綱渡りを必要とします。
事前にそこを狙った戦略を立てることがはたして可能でしょうか?
またコミュニケーションには継続的に人的資源を必要とします。
遅延や表示の抜けが感情的トラブルに発展するリスクまで考えると、
「労多くして益少なし」になるんじゃないかなぁ、とは思いますけどね。


……さて本来の意図について。

ここ最近集中的に、ブログでもTwitterでも、わたしとしてはかなりの嫌味を込めたつもりで「自分(ノ稼ギ)ニ使エソウナ情報/人脈漁リ」という表現を使ってきました。ただし可視化された反応を見るかぎりどうもこの部分完全にスルーされているようでがっくりきているのですがそれはともかく。
そんな流れを踏まえての前稿だったのです。


手元に無いので記憶だけですが、『美味しんぼ』のかなり初期の頃に【"美食倶楽部"で(倶楽部に憧れている)外国要人との首脳会談を行いたいとの師匠を通じての申し入れにも「食事をしながら政治の話をするなどいちばん不純なことではないですか」と海原雄山が頑として拒んだ】エピソードがあったはずですが、まぁそれと似たようなもので(笑)、

企業と個人であるとを問わず、政党と個別の議員であるとを問わず、
少なくともこのような場──"他愛のなさ"を価値とするはずの場──における「コミュニケーション本体」の部分を営利や(リアルの)政治で"汚される"ことへの憂慮、なんですよ。


私が企業をTwitterに呼び寄せているように見えるのだろうか。
そりゃアイデアまで出してるんですもの、誘っているようにしか見えませんってば(^^;;;
どのような意図で始まっても
踏みにじる人はいる
相手のモラルに期待せず
「仕組み」や「代案」を考える方が現実的
現実に対するその諦観は共有しますが…… 娯楽と、真顔にならざるを得ないような議論、あとビジネスとはそれぞれもっと「棲み分け」をしようよ、それぞれの"純度"を上げるのがお互いのためだから、という提案も続けていますし、その流れからも、

できるだけ長く「純粋」であれ、と言い、"侵食"に対して異議を申し立てた、と、そういう意図を汲んでいただければ幸いです。

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2009.07.08

深い憂慮を表明します。

Twitterの企業利用とか、日本でも積極的に使う政治家が出てきた、それTwitterの政治利用だ、とか。

そーゆーの、正直勘弁してほしいんですけど。
まぁイヤならフォローしなきゃ済む話でしょ、ではあるのですが。

圧倒的にTwitterを使いこなしている一人勝ち企業が出ないうちに、Twitterを試したい企業は試行錯誤すればいいのに。キーワードは「白石さん・社内横断的なチーム・ASAYANメソッド」 - どんなジレンマ
んー、おもしろそうね、と全く思わないわけではないのですがね……


ビジネス(営利)目的だとか、政治でもそうですけど、リアルでの利害関係・利害対立がものすごくあるモノゴトだと思うんですが、
どうしてそういう「ガチで利害対立があるもの」をタイムラインに混ぜ込みたいなんて思うんですか???
それはなにもTwitterに限ったことではないのですよ、『タイムラインに』を『ネットワークコミュニケーションの「コミュニケーションの部分」に』と置き換えても同じこと。

関連→ネットではネットのことを/ネットのことはネットで(2008.06)

何度も引きますけれども、
そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)で逐一示したように、
あくまで「ゆるい」コミュニケーションの基盤として存在するものであって、ですね……

まぁ右サイドの広告に『企業でのご利用のご相談は~』なんて広告も存在するくらいですから、それもまた「公式に認められた使い方」の地位は得ているのでしょうが、広告出稿に留まらず「コミュニケーションの部分」そのものにまで"侵食"されるのは、正直、ちょっと勘弁願いたいんですけどねぇ……

混ぜ込みたいですか?
他愛もないつぶやきと全く区別なく、そういうのも。


ですから、私は、
インターネットと政治 - Voxの末尾、「嘘ニュースだった」として取消線が被さっている部分に強く共感したりします。

嘘だというなら嘘なのでしょうが嘘でもそれが流通したということは、Twitterに対して私のように考え、望んでいるひとが少なくとも私だけではないことの証左にはなるのではないか、というのは牽強付会に過ぎるでしょうか?

……繰り返しますが「禁止」されているわけでもないのですから「そう使うべきではない」とは申しません。
ただ、ひとつの意見として、そういう流れに対しての「深い憂慮」を表明します。
『つぶやきを流してみるツール』として生まれたものは、ずっとこれからも『つぶやきを流してみるツール』であってほしいと思うのです。

関連→
純粋になろうよ。(2009.03)
『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)


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