純粋であれ!と願うこと。
他愛もない双方向コミュニケーションを、
話をすることそれ自体が目的であり楽しみであることを、
その価値を守りたい。
示された憂慮は企業に届くように、「Twitter利用をしないと企業は得をする」記事を書かれてはいかがだろう? - どんなジレンマ:
「Twitterを企業が使うと、これだけ無駄があるよ!」という記事をお書きになられてはどうだろう。憂慮示されるよりも、企業に対して声が届く可能性があるのではないでしょうか。
うーん、憂慮のニュアンスというか方向性はすこし違うのですが(後述)、せっかくなので考えてみると……
(営利)企業として使うとなると、使うことで利益に貢献しないといけません。
広告出稿ならばTwitterの収入になりますし出稿企業にもクリック誘導が売り上げにつながれば単純にそれでよし、ということになりましょうが、
そうではない、「タイムラインに溶け込んだ双方向コミュニケーション」を目指すのだとすると、少なくとも短期の利益には貢献しません。
必然、長期的なイメージ戦略の一環としての利用、ということになりましょうが、そうなると、
人気に火がついてはならず(せいぜい数日の旬として消費されたらオシマイ)、
しかしある程度には目立ち続けなければ意味がない(完全に溶け込んでもダメ)、
という綱渡りを必要とします。
事前にそこを狙った戦略を立てることがはたして可能でしょうか?
またコミュニケーションには継続的に人的資源を必要とします。
遅延や表示の抜けが感情的トラブルに発展するリスクまで考えると、
「労多くして益少なし」になるんじゃないかなぁ、とは思いますけどね。
……さて本来の意図について。
ここ最近集中的に、ブログでもTwitterでも、わたしとしてはかなりの嫌味を込めたつもりで「自分(ノ稼ギ)ニ使エソウナ情報/人脈漁リ」という表現を使ってきました。ただし可視化された反応を見るかぎりどうもこの部分完全にスルーされているようでがっくりきているのですがそれはともかく。
そんな流れを踏まえての前稿だったのです。
手元に無いので記憶だけですが、『美味しんぼ』のかなり初期の頃に【"美食倶楽部"で(倶楽部に憧れている)外国要人との首脳会談を行いたいとの師匠を通じての申し入れにも「食事をしながら政治の話をするなどいちばん不純なことではないですか」と海原雄山が頑として拒んだ】エピソードがあったはずですが、まぁそれと似たようなもので(笑)、
企業と個人であるとを問わず、政党と個別の議員であるとを問わず、
少なくともこのような場──"他愛のなさ"を価値とするはずの場──における「コミュニケーション本体」の部分を営利や(リアルの)政治で"汚される"ことへの憂慮、なんですよ。
私が企業をTwitterに呼び寄せているように見えるのだろうか。そりゃアイデアまで出してるんですもの、誘っているようにしか見えませんってば(^^;;;
どのような意図で始まっても現実に対するその諦観は共有しますが…… 娯楽と、真顔にならざるを得ないような議論、あとビジネスとはそれぞれもっと「棲み分け」をしようよ、それぞれの"純度"を上げるのがお互いのためだから、という提案も続けていますし、その流れからも、
踏みにじる人はいる
相手のモラルに期待せず
「仕組み」や「代案」を考える方が現実的
できるだけ長く「純粋」であれ、と言い、"侵食"に対して異議を申し立てた、と、そういう意図を汲んでいただければ幸いです。
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