杭を打ってみるのも、いいんじゃない?
ある程度までは賑わい(=量)が質に転化しますが、
程度を超えると量は混沌と低俗さに直結してしまいます。
その"ある程度"を維持できたためしがないのはネットの習いですから、
次々河岸をかえるのが「正しい振る舞い」ではあるかもしれませんが。
こういう呟く側の問題じゃないんよ。呟きを見る側の問題なのよ。(中略)すべてはそれを見たいと思うか。主導権は呟きを見る側にある。
「業務上ノ必要」や「自ラノ成長ニ資スル為」といった目的でもなければストレスになるようなイヤなものをわざわざ見る必要なんてあるわけがないですし、
上に書いたようにどのみち「心地よさ」が続くわけもないですし、
パソ通の時代とちがって他の「場」はやまほどあるのですから、
『イヤなら見なけりゃいい』のはそれはそれで正しいとは思いますが。
分かっていても『イヤな流れ』に杭を打ってみる、流れに抗って再考を促してみる、「場」のささやかな延命を願ってあえてそうしてみるのも全くの無意味ではないと思いますし──ただし、それが読まれれば、ですが──、そんなに悪し様に言われるような振る舞いだとも思わないのです。
ニュース記事の、あるいはブログエントリの2つや3つ撃ちこんだところであっという間に流れにのまれてしまうのでしょうが、少しは考え直してくれるひとが居るかもしれないですし。
『イヤな流れ』だと思ったら、黙って去るばかりではなく、たまには抗ってみてもいいかもしれません。
……もっとも、(ここ数ヶ月書いてきたように、)個人的には、言及先の言及先である『livedoor ニュース - 酒井法子さん騒動からtwitterを考える』が理想とするようなTwitterの使い方には全く同意しかねるのですが(笑)
まぁネットだし、こうしてブログでなんのかんのとやってみたって基本的に「しらないだれか」だし、言った/言われたところで他人も自分も簡単に変えられる/変わるはずもない、にしても、すこしはお互いに影響したりされたりがあってこその『コミュニケーション』じゃないの?とは言えるかもしれません。
ついでだし「再考を促す」系いくつか……
※オフについて:
オフは、慎重に。(2008.12)
※SBMについて:
なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?(2009.01)
※Twitterについて:
そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)
もう笑うしかない(主に失笑として)(2009.07)
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