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2009.09.30

無駄、だってば!

ちょっと言いすぎかな。でも、あまりにも非効率で精神衛生に悪いことは間違いないと思うのですが。
『オープンでフラットなWeb』で"ビジネス目的ニ使ウ"だの"稼ギニ使エソウナ人脈ヅクリ/情報アサリ"だのを展開しようというのは。

質の高いTwitterのフォロワーを増やすために意識すべきこと - EC studio 社長ブログ

悲しいかなニフティクリップでは全くクリップされていなかったのでしかたなしにこちらへのリンクを示しますが:
はてなブックマーク - 質の高いTwitterのフォロワーを増やすために意識すべきこと - EC studio 社長ブログ

結構な反発があるようで。まぁそりゃそうですよねと。

最近では日本のWebは「残念」騒動(……からまだほんの4ヶ月だったのね!)でもそうですけど、
こういう類の言説に反発が噴き上がるのは、Twitterに限らずブログでも、とにかく『オープンでフラットなWeb』では、結局みんな──あえて『みんな』と書きますけど──意識してあえて享楽的に振る舞っているからなんじゃないかと思うのですが。
個々のアウトプットだけじゃなくて、"接し方"全体として。

だから、そういうところへ真顔で斬り込んでいったって、"ウチら、(純粋に享楽的な意味で)楽しむためにやってんのや!"と反発喰らうのは必至なんだと思うわけですよ。

普段わりと棲み分けが機能しているようで、実ははっきりした壁があるわけでもないので、ときどきこういう"出会い頭の衝突"は起こるのですが、その度にお互いの精神衛生によくない結果をもたらすわけで。

とくに仕事な方々におかれましては折りしも明日から全国労働衛生週間ですし、メンタルヘルスには十分留意されますように……


それに、
Twitterは完全にそうですし、ブログなんかにおいても、いち──しかもほとんどは無料──ユーザーの立場(分際、というほうがいいかも)で、テメェの儲けの為にしゃかりきになるのはどうなのよ、ということもありますし、

そういう、"ビジネス目的ニ使ウ"だの"稼ギニ使エソウナ人脈ヅクリ/情報アサリ"だのをやりたければですね、「志を同じくするひとたち」の集う"ゲーテッド・コミュニティ"でおやりなさいよ、好ましくは自らのイニシアチブで、そのほうがよほどいい結果をもたらすはずですよ、と繰り返し繰り返し申し上げているわけですが、また同じことを書きたくなるような騒動に接しまして、またこのように繰り言を書いた次第でございます。


前に書いた一例→そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)


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2009.09.20

ヒートシンクの呪縛(ふぉとろぐ・2)

はじまりは、とある平和な夜のこと。
無停電電源装置とパソコンが同時に起動不能に(どちらがどちらを巻き込んだのか不明)。

なんでだろうと(分かりもしないのに)筐体開けたら……!?

なにやらグラグラしているものが。

チップセットのヒートシンク(を締め付ける金具の取り付け部分)が外れてる!

……見たことはおろか読んだこともないぞ、そんな現象……

周囲のチリの状況からしてずいぶん前からむき出しで運用していたらしい...
(のでたぶん今回壊れた原因ではないと思う)
へぇー、ヒートシンク無くても大丈夫なもんなんやぁ...(そういう問題じゃない



ともかくそんな状態であることが発覚したため(というか電源入らないし)やむなく更新することに。


そして新パソ到着。
一応中を確かめようと筐体開けたら、そこには衝撃の事実!

(マザーボードの)メーカー全然違うのに、取り付け金具が全く同じ形のヒートシンクが……

なんで・・・うそでしょ...orz



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2009.09.19

愛媛……(ふぉとろぐ・1)

調べたら(後述)今更だったのですが(^^;;;

ナンバープレートの『愛媛』の字体は独特の味わい(笑)の略字でした

旅先でふと目にしたら……えっ?普通の文字になってる!


ええ、松山市駅で坊っちゃん列車も撮らずにこんな写真撮ってました...

なんでもwikipediaによるともう変更後6年になるとのこと、今更ではありますが。

ちかごろなんだかんだでクルマの買い替えサイクル早いですし、収集マニアの方はお早めに...

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2009.09.07

なるほど、だからネットでは「議論は成り立たない」わけか(笑)。

……という感想を持ちましたです、はい。

小寺信良の現象試考:今だからこそ再確認したい、議論のしかた (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

議論をする必要があるシーンを考えてみると、そこに利害関係の対立があり、それを調整する必要がある場面で議論が発生するわけである。(中略)
すなわち議論本来の目的とは、利害関係を調整して、双方が納得できる結論を得ることである。

なるほど、だからネットでは常に"ケンカ"になっちゃうわけね(^^;。

だって。
意見の対立があったとして、──少なくともオープンな場では──ふつう(リアルでは)"しらないだれか"なわけですから、『利害関係』それ自体が「ない」(ことが多い)。即ち調整なんて必要も起こりようがない。
しかも、『結論』も出す必要が(たいていは)無かったりするわけですから。
……ということで、『議論のための前提』が、きれいに消し飛んでいる状態なんですよね。

まぁ、クローズドなところで、「志を同じくする者」どうしならまたちょっと違うかもしれませんけれど、だから、こういった「オープンな場」では、議論が成り立ったとしたら、ほんと、当事者はその"奇跡"を全力で祝わないといけないんじゃないかと思ったりします。


双方が納得できる結論を、双方協力しながら探す

自分もその中のひとり、として書きますけれども、"いまの人"にはコレがいちばん難しい、ような気がします。

もっと若いとき(^^;にしょっちゅう思ったのですが、どうも「妥協=絶対悪」と頑なに考えているひとが多いような気がします。
よく「デジタルな考え」と言うのですけれど、0か1かしかないんですね。
だから、徹底的に"折れない"か、最初から降りて御意のままにAs you wish,Your Highnessとなってしまうかの二択になってしまっている、ような。

これ、いったい何の影響なのかよくわからないですけど、これからもそういうひと、減ることはないんじゃないかなぁ、という……。


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2009.09.06

理屈じゃないのよ帰属は HA HAN~♪

本編にも改変にも違和感を感じたので!マジレスしとくで!

まず本編:
生まれ育った土地から離れないなんて馬鹿げてる(はてな匿名ダイアリー):

有り得ないって絶対。今自分が住んでいる土地で人生を終えることが本当にベストなのかどうか、せめて幾つかの土地を見て回ってから結論を出したら?

……反論は探せばいろいろ出てくるでしょうけど、

「愛着」とか「帰属意識」とかいうのは、たぶん理屈では勝てない次元にあるんですよ。

震災のあとで異口同音に聞きました:
「あれだけ恐ろしい思いしたのに"神戸から離れよう"なんて微塵も思い浮かびさえせんかった。自然災害のニュース見て"なんであんなところに住んでんやろ"思てたけど、自分がこんな目に遭(お)ぉてみてよぉ分かったわ」と。

話は飛びますが『村がダムの底に沈む』となるとたぶん世界中どこであってもモメ倒すのではないでしょうか、

そういうことなんです。生まれ育った土地への思いというのは、理屈でどうこう、じゃないんですよ、きっと。

「そうではないひともいる」というのは、あなたのエントリでよく分かりましたが。


んで改変:
生まれ育ったウェブサービスから離れないなんて馬鹿げてる(はてな匿名ダイアリー)

この暮れまで続けられていれば13年、ささやかながら『ニフ者』としての帰属意識を持っておりますがなにか。

というか。
初めて降り立った、かどうかは分かりませんけれど、受け入れられた、居心地を見つけたと初めて思うことの出来た(=育った)場の"流儀"が、その後のネットコミュニケーション人生を決めてしまうし、どうしてもその"流儀"から離れられないことは多々あるんじゃないの?

(ニフの)フォーラムで育ったひとはフォーラムの、2ちゃんねるで育ったひとは"ねらー"の、あるいはmixiで、はてなでetc...育ったひとはそれぞれの"流儀"でほかのサービスも使おうとする傾向はあるのではないでしょうか。
そしてそれがたまにトラブルを生む(笑)。

だけど、「育った」場から(意識として)離れられない、というのも、理屈じゃない部分があると思うんですよ。


ある業者のサービスを使い倒していながら「いや、帰属意識は全然ないよ?」とか書いているのをたまに見ますけど、あれ、どうも信じられないんですよねぇ。
あるいは、わたしより断然長く濃い『ニフ者』のキャリアを持っていながら「はてなLove☆」とか書いてしまうひとも、信じられない目で見てしまったりしますが(あくまで一例ですよ、一例(^^;)。



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2009.09.05

そういうの、平時にせなあかんで、「リアルで」。

政治ネタを追いかけておられるみなさまにおかれましては益々興奮の日々をお過ごしのことと存じます。

さて先般の選挙期間中におきましても、恒例となりました公職選挙法批判がマスコミでもネットでも多々ございましたが、

解散が決まってから、ましてや公示前後になってから、躍起になって批判したって手遅れでしょうが(失笑)。
議会解散してんのに法律改正できるわけあらへんがな。

案の定、選挙終わったらメディアもネット民も『次の「旬の話題」』にかかりきりになっているわけでございまして。

まぁ、なんでもいいから「旬」に乗っかって叩きたかっただけなら余計なお節介でございますけれども、
本当に変えたいと思っているのであれば平時に問題提起して動きを作らないとダメなのではないかと思いますがいかがでございましょうか。

……ええ、分かりますよ、
メディアもネット民もひたすら「旬の話題」を追いかけるのが宿命みたいなものですから、平時には全くのオープンでフラットな場でそんなことを書いてみたところで動きを作ることはおろかまともに見られすらしないこと。

つまりは、他のさまざまな問題と同じく、
少なくとも「旬」ではない問題に対してネットからリアルを変えようというのは無理がある
ということがこの話にも当てはまることがご理解いただけたかと思います。


他のことでも一緒です、
「リアルの何かを」本当に変えたいと思っているのであれば「平時に」そして「リアルで」おやりになるべきでございましょう。
"活動家同志"を募る分にはネットの使い道もございましょうが、それにしても平時より問題意識を共有する「専用の場」の中でないと難しいのではないでしょうか、ウザがられて避けられたのでは元も子もございませんので。


関連:
ネットではネットのことを/ネットのことはネットで(2008.06)
ブログの2000日、そしてやっぱり『棲み分け』のススメ。(2009.05)




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2009.09.04

上限・下限の範囲内で

書いたり読んだりを「楽しむ」というのは精神安定剤というか、こころを"いい状態に保つ"ためにすることであるはずで。


よく「何とかがんばってアウトプットし続けよう!」なんてブログ指南を見かけますが。
そーゆーのは仕事で──なにか非営利の活動家同志募集でもいいけど──するひとの話であって、
決してそうではないはずの大多数にとって、「がんばる」というのに"訓練"や"苦行"のニュアンスが含まれるのなら、むしろ「がんばる」ことを注意深く避けなければならないかもしれません。

逆に。
「書くことが次々あふれてきて毎日楽しくて仕方ありません」というのも、それはまことにめでたいことではあるのですけれども、見方を変えれば"依存の一歩手前"でもあるわけで、手放しで喜ぶことではないかもしれません。

どっちにしたって『根を詰める』というのはよろしくないと思うんですよ。

上限・下限どっちとも。
リミットスイッチを設けて、それにかかったらいったん止める、そんなイメージ。

デジタル思考なのか何なのか、なにかにつけ中途半端であることを嗤う傾向がとくにネットでは強かったりしますが、
何度も繰り返しますがあくまで趣味娯楽の範囲であるならば、むしろそういった「中途半端な状態」でなければならないのではないかと思います。


書いて終わり、ではなくてコミュニケーションを求めるなら、相手があっての話ですから自分の思い通りにはならないしモメることも避けられないです、趣味娯楽であってもこころの安定を求めていてもその部分の"覚悟"は必要ですけれど、だからこそ、せめて自分自身に対しては『根を詰める』ことのないようにしたいものです。

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