なるほど、だからネットでは「議論は成り立たない」わけか(笑)。
……という感想を持ちましたです、はい。
小寺信良の現象試考:今だからこそ再確認したい、議論のしかた (1/3) - ITmedia +D LifeStyle:
議論をする必要があるシーンを考えてみると、そこに利害関係の対立があり、それを調整する必要がある場面で議論が発生するわけである。(中略)
すなわち議論本来の目的とは、利害関係を調整して、双方が納得できる結論を得ることである。
なるほど、だからネットでは常に"ケンカ"になっちゃうわけね(^^;。
だって。
意見の対立があったとして、──少なくともオープンな場では──ふつう(リアルでは)"しらないだれか"なわけですから、『利害関係』それ自体が「ない」(ことが多い)。即ち調整なんて必要も起こりようがない。
しかも、『結論』も出す必要が(たいていは)無かったりするわけですから。
……ということで、『議論のための前提』が、きれいに消し飛んでいる状態なんですよね。
まぁ、クローズドなところで、「志を同じくする者」どうしならまたちょっと違うかもしれませんけれど、だから、こういった「オープンな場」では、議論が成り立ったとしたら、ほんと、当事者はその"奇跡"を全力で祝わないといけないんじゃないかと思ったりします。
双方が納得できる結論を、双方協力しながら探す
自分もその中のひとり、として書きますけれども、"いまの人"にはコレがいちばん難しい、ような気がします。
もっと若いとき(^^;にしょっちゅう思ったのですが、どうも「妥協=絶対悪」と頑なに考えているひとが多いような気がします。
よく「デジタルな考え」と言うのですけれど、0か1かしかないんですね。
だから、徹底的に"折れない"か、最初から降りて御意のままにAs you wish,Your Highnessとなってしまうかの二択になってしまっている、ような。
これ、いったい何の影響なのかよくわからないですけど、これからもそういうひと、減ることはないんじゃないかなぁ、という……。
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